北海道初上陸【3】(1999/08/29~08/30)
函館山:
ロープウェイによって山頂に運ばれ、順路に従って山頂広場に立つ。眼下には日本三大夜景の一つとされるきらびやかな街の夜景が広がっていた。
函館の市街は沖合に浮かんでいた函館山との間の海が砂によって埋められたトンボロと呼ばれる場所の上に作られている。
両側を海に囲まれた狭い陸地に光がぎっしりと詰まっている。それによって、暗い中で見ても陸と海の境がはっきりとしている。
三大夜景と称されるだけのことはある見事な夜景だった。
が、今回はその夜景の写真を一枚も撮影しなかった。
その理由は持参したカメラのせいだ。今回持参したカメラは使い捨てカメラとデジカメ。
使い捨てカメラはシャッタースピードもへったくれもない。シャッターを押せば撮影される、それだけなので夜景の撮影は期待できない。
一方デジカメは父から借りた、エプソンのCP- 600というカメラ。
当時デジカメはまだ発展途上のメカでありフィルムカメラと比べて画質が劣るとされていた。このカメラは130万画素という解像度を持っていたので当時としてはそれなりに高画質だったが、高画素で撮影すればその分メモリを消費する。ところがメモリが高価だったので、自分は8MBと16MBの2枚しか持っておらず、フルサイズで撮影すると数枚しか撮影できなかった。これからの長い旅路のしょっぱなに使い切るわけにはいかない。
そのうえ動作のためにアルカリの単三乾電池を4本も使う割にフラッシュ撮影などしようものなら10枚くらい撮影したら電池切れになるような大飯ぐらいだった。
電池の消耗を抑えるべく、試し撮りはせず、液晶もオフにしてファインダーから撮影するような感じだったから、画像サイズの問題も踏まえて、はなから撮影する気になれなかったのだ。
単にそれだけの話なのだが、Kには芸術家気取りで「目で見た記憶を大事にするべきだ」 とか何とか意識高そうなことを豪語していた気がする。。。
ちなみにそんなことを言っていた割にビデオカメラでは撮影していた。Kにその矛盾を感づかれていないだろうかw
ビデオカメラからキャプチャしたものなのでそれほど鮮明ではないが、夜景はこんな具合だった。
夜景を堪能していたらぼちぼち腹が減ってきた。折角なのでここで夕食を済ませちゃおうと話して、ロープウェイ乗り場の建物の中のちょっとお洒落なレストランに入った。というか、そこしか開いている店がなかった気がする。
にもかかわらず2人の格好は無頓着の極みみたいないでたちだ。そういう店に入る時のTPOみたいなものは全く考えていなかった。とは言ってもドレスコードを要求されるような店ではなかったから入ろうと思った訳なのだが、それでもなんかフロアの店員の間に微妙な空気が漂ったのを感じなかったわけではない。
後輩を前にして気が大きくなっていたので入店までは強気だったが、ここにきて来るところを間違えたかな、と急に弱気が顔を覗かせた。
早く食事を済ませて店を出たい、という思いに支配されて何を食べたかも覚えていない。
麓に降りてから適当な店に行くべきだったなぁ。。。
夕食は済ませたので後は今日の寝床へ向かうばかり。
明日、昭和新山を見てみたかったので、その近くにある道の駅 「そうべつサムズ」 (現「そうべつ情報館i」)を目的地とした。
北海道の道は広くて真っすぐ。そうそう、こういう道を走ってみたかったのだ。みんな80キロ前後のスピードでビュンビュン走っていく。自分もその流れに合わせてペース早めのドライブを楽しんだ。
洞爺の火山科学館:
1999/08/30
7時過ぎにもぞもぞと起床。昨晩は暗くて周りが何も見えなかったが目覚めて外の景色を見たら、目の前に有珠山と昭和新山の勇姿が飛び込んできた。
昭和新山はその名のとおり昭和に入って始まった火山活動によって、麦畑だった場所がどんどん隆起してやがて山になってしまったものである。
火山というと夥しい溶岩を流したり、爆発によって山体を崩壊させたり、流下物で麓に被害を与えたりといった、カタストロフ的な変化を起こす自然現象であるイメージが強いが、この昭和新山は逆である。新たに造山活動をして何もない(と言ったら所有者に失礼だが)所に山を作ったという話にそこはかとないロマンを感じる。
この活動が起こった当時は戦時中で情報統制されていたためその記録は殆ど残されなかったという。そんななか土地の持ち主が秘密裏に測量を行って、山が形作られていく過程を詳細に記録していた。
明治以降、こうした造山活動は日本では殆ど起こっていないので、地面が隆起して山になるまでの記録として非常に貴重なものとなっているそうだ。
ちなみに有珠山は残念ながら山頂付近が雲で隠れてその姿は殆ど確認できなかった。
この山は我々が訪ねた翌年(2000年)に噴火している。降灰や泥流、地面の隆起などで大きな被害を出したが、事前に予知できたことから犠牲者は出さずに済んでいる。
噴火前に必ず予兆がある山として知られており、地元の人たちから嘘をつかない山と称されているそうだ。
そうした火山についての資料展示を行っている火山科学館という施設がある。
すぐ近くなので見に行ってみることにした。
Kは自分とは趣味などは異なるが、指向性というかモノの考え方が似ている男なので、自分が行きたい、と提案すると彼もすぐに同意してくれる。旅のお供としてこれほどありがたい存在はない。
それはさておき館内は有珠山や昭和新山に関する様々な資料が展示されている。有珠山は有史以来度々噴火しており、それらの資料も展示されているが、メインの展示物は1977年噴火の際の展示が中心となっている。
1977年と言えば訪問当時でも22年前の出来事なので、展示物がやや古臭くなんかピンと来なかったが、展示物の一つである噴石の重さでつぶれてしまった車は迫力だった。
その車はニッサンチェリークーペ。これまたマニアックな車種だ。。。
前述のとおり有珠山は2000年に再び噴火した。噴火の終息後、この火山科学館は移転し展示物も2000年噴火に関するものがメインとなった。いずれ再訪する機会があったら新しい火山科学館にも行ってみたいと思っている。
さて、今日は夜にAさんと会う約束になっている。Aさんは旭川に在住しており我々が旭川まで出向く、という段取りになっているのだが、夜までにはまだだいぶ時間がある。ところがこの後の予定は何も決めていなかったので、ガイドブックと睨めっこしつつKと相談して富良野へ行くことになった。
富良野を目指す目的は曖昧だった。Kがテレビや雑誌で良く目にするどこまでも続く畑(こんなの) を見たい、といったのがきっかけである。
とはいえどこにそういう景色の場所があるのかは全く情報がない。当時はカーナビも付いていなかったので、ガイドマップとロードマップを見比べながらそれっぽい所にアタリを付けて行ってみて、見られたらラッキーくらいの気持ちでしかなかった。