ほぼ日本一周ツアー【3】(2000/09/20)

重井港のレンタサイクルの貸し出し場所は異様に趣のある建物だった。農家の納屋というか、あばら家のようなというか、そんな佇まいで建っていた。

傍らの詰所にいた係員の老人が自分が来たことに気づいて中から出てきた。
その係員に自転車を借りたい旨を伝えると、ここの中にある自転車だったらどれでもいいよ、という。そう言われて中を覗いてみると、停まっているのはメーカーも色もサイズもみなバラバラ。どうやらレンタサイクル用に新調したものではなく、放置自転車等を再整備して貸し出しているっぽい。

 

自転車のタイプは押しなべてママチャリである。まぁ、レンタサイクルなんだからママチャリを借りることになるのだろうな、とは思っていたが、ギアも何もないママチャリで長距離走ることが出来るか、と言われるとやや不安を感じる。

係員は停まっている自転車をいくつか見繕って自分に「こんなのとかいいんじゃない?」と薦めてくる。見ると一応3段変速のギアが付いていたりする。

そうだな、まぁ、こんなものかな、と思いつつ他の自転車も一通り探していたら、ママチャリに紛れて一台だけマウンテンバイクがあった。

これも借りられる自転車ですか?と聞くと、大丈夫とのこと。そのマウンテンバイクは前が3段、後ろが7段の計21段のギヤを搭載していて、見た目は流石に薄らぼんやりしているが、ママチャリと較べたら遥かに機動性が高そうだった。

しまなみ海道の橋はかなり高い所を通っている。その橋を渡るわけだから、そこまで登らないとならない。だとしたら多段変速の自転車の方が絶対楽だろう。

ただ、マウンテンバイクなので、かごの類が一切付いていない。かごがあれば荷物満載のスポーツバッグを押し込んて肩を楽にできるのだが、そこは諦めか。

かごの有無は多少悩んだが、結局そのマウンテンバイクを借りることにした。これが自分のしまなみの旅のお供となった。

 

ということで、早速走り出してみた。リユース品だがギアなどはちゃんと整備されているようで変速もスムーズ。

「♪重井港から海沿いの道を荷物を背負ってペダル踏んでた~」

などと、件のJazzUpを替え歌を口ずさみながら土生港の方へと戻る道を進む。道は広く車もそれほど多くはないので、なかなか快適だ。
ちなみにこの曲は「246から渋谷に抜ける今の僕と何が違うの?」と続く。要は都会に出てきてカッコつけているけど、その昔、そんな初心な気持ちを抱いていた頃の自分と何が変わったのか?ということを歌っている訳だが、こんな替え歌の主人公は、将来都会でカッコつけて暮らしている気がしない。都会に出てからも何となく垢抜けない毎日を送っていそうな気がする・・・って、そりゃ俺だw

 

生口島初上陸


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しまなみ海道は、因島から生口(いくち)島へと渡る。その橋は生口橋といい、数百m程度の海峡を斜張橋で一跨ぎしている。

自転車は、自動車とは異なる場所にある専用の通路によって橋へとアプローチする。その曲がる場所は道に看板が立っているのですぐわかる。
自分もその指示に従いアプローチ道路の方へと進む。

アプローチ道路は自転車専用道路なので、道幅は自転車1台分。真ん中に白線が敷かれて上下交通がバッティングしないようになっている。
そして、自転車で登りやすいように勾配は緩やかに作られているが、代わりに橋までの経路はかなり遠回りをしている。

ギアを軽い段に入れ替えて、ゆっくりと登る。足は沢山回転する割に全然進まなのでもどかしいが、ママチャリだったらもうこの時点で押し歩きになっていた気がする。

 

潮風を受けて少し乾き始めていた汗が、再び噴き出してくる。5分くらい一生懸命足を動かしたら、橋の路面が目線になり、ようやく橋への入口に達した。

橋の手前にはちょっとした休憩所と自転車道用料金所が設けられていた。自転車は50円とのこと。自転車も有料なのか。
ただ、特にゲートなどで塞がれている訳ではないので、素通りしようと思えば素通りも可能、ただし、監視カメラで監視されているらしく、不正通行が発覚したら罰金だそうだ。

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50円を収集箱に落として橋の上へと進む。
橋の上は起伏がないので、再び爽快なサイクリングとなる。

生口橋は790mというので、自転車で快調に飛ばすと物の2、3分で通過してしまう。それもなんかもったいない気がしたので、ゆっくりと、途中で景色などを見ながら進んだ。

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自分は海なし県である埼玉で育っているので、海がある景色を見るだけでテンションが上がる。まして、関東周辺で島と言えば火山島である伊豆諸島くらいしかないので、島が点々と密集して浮かぶ光景はひたすら新鮮なものだった。
海岸から見る景色もよい景色だったが、橋の上から眺めた景色もまた格別。左側は因島の市街地、正面の小島が平内島、その奥が生名島、左側は弓削島、右側が岩城島、といった具合である。

 

そうして橋を渡り切り、生口島に上陸。島旅8番目の島となった。
当時、しまなみ海道は生口島内の道路の整備が完了しておらず、自動車は一旦一般道に降りる必要があった。もちろん、自転車用の通路も橋を渡った先で自動的にアプローチ道路へ誘導され、グネグネとした道を下っていく。下り坂なので、ブレーキの操作だけで降りて行ける。この瞬間のために坂道を登るんだよなぁ、と爽快感を味わっていたが、あっという間に降り切ってしまった。

トータルの標高差はほぼ0mの筈だが、収支が合っていないような気がするのはなぜだろうw

 

生口島は、島のほとんどが瀬戸田町という町に属しているが、南東の一部のみ因島市となっている。
この辺りの自治体が平成の大合併で尾道市に編入された時に、それぞれの字は先頭に旧自治体の名称を付けるように改変された。
尾道市因島xxとか、尾道市瀬戸田町〇〇といった具合である。それ自体はよくある手法なので物珍しさはないが、生口島なのに住所に因島が付くのはなんか変な感じがする。

まぁ、地元に住んでいる人からすれば昔からの呼び方で呼ぶだけの話なのでなんのややこしさもないのだろうが。

島の主な産業は造船とレモン栽培で瀬戸田レモンは一大ブランドである。
世界的な画家である平山郁夫氏の生誕の地としても知られているが、自分的には職場の後輩であるM君の出身地の島である。

この島に降り立った当時はまだ転職前だったので、彼とは面識がなかったが、まさか同じ釜の飯を食う仲間としての縁が生まれるとは。世の中何があるか分からない。

彼にかつて島を自転車で走ったことが有る、という話をしたら、大層驚いていた。まぁ、驚くよな。

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島内の道路は島を海岸沿いに一周していて、東西に長い島の北回りでも南回りでも進むことが出来る。少なくとも山道を登るのはダルいので、海岸沿いの道だけを通りたい。地図を見ると、南回りの方が距離は短そうだったが、あまり発展していなさそうだったので、あえて北回りの道を選んでみることにした。

最初は因島と比べて視界に見える景色が幾分違っていたので、テンションが上がったが、それもそれほど長い時間続かなかった。

行けども行けども、鄙びた離島を感じさせる光景は一向に現れない。いや、そう言う道を選んだわけだけれども。ずっと右手に海、左手に街並みが延々と続くのみで、道路もよく整備された2車線道路、走行する車もその辺の幹線道路を走る車と何ら違いがない。

だんだん、何してるんだっけ、という気になって来る。

 

そう言えば、まだ昼食を食べていなかった。ここまで飲み物だけで粘ってきたが、もうぼちぼち何か食べたい。ということで、途中で見つけたショッピングセンターで軽食を入手。駐車場でパクついた。

そして食べ終えたらさらに走る。上の写真は、瀬戸田市民会館の庭に置かれていたサックスのオブジェ。これの話を彼にしてみたが記憶にないようだった。

 

さて、ここまで来ると全行程の半分くらいである。しかし、肩にかけたスポーツバッグが食い込んでもはや自分の肩が悲鳴を上げている。足腰は自信があるが肩が弱いことを忘れていた。。。
最初は片方の肩にかけて斜めがけにしていたのだが、バランスが悪いので、途中で取っ手の部分に腕を通してリュックのように背負うスタイルに切り替えた。だが、元々肩にかけられるように設計されている場所じゃないので、紐が細く、重たいバッグが容赦なく食い込んでくるのだ。

なんでスポーツバックがそんなに重たいのか。原因は時刻表だ。
時刻表は、駅のみどりの窓口とかに置いてあるような電話帳のようなサイズのものと、その3分の1くらいのサイズのポケット版、という2種類が売られている。

今回持参しているのは電話帳の方である。
JR線だけを乗り継いでいくだけならポケット版でも用をなすのだが、今回のように私鉄に乗ったり、バスに乗ったり、宿の手配をしたり、といった用途まで考えると、ポケット版ではちょっと心もとない。なので、今回は頑張って電話帳の方を持ってきたのだが、これが完全に裏目に出ている。

しかも札幌に滞在している時の服とか、完全に余計なものまである。
 

だからと言って捨てられるものもなく、どんどん先に進むからどこかにデポしておくわけにもいかない。
このくらいなら気合で乗り切れるだろうと思っていたが甘かったようだ。だんだん景色に飽きてくると、重さが余計に堪える。。。

 

今いるこの辺りが瀬戸田町の中心地区になり、平山郁夫氏の美術館や、島きっての珍スポットとも言われている耕三寺など、見所が点在しているのだが、そうしたところにちょっと立ち寄ってみよう、と考えるような心の余裕も失ってしまった。

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ひたすら黙々とペダルをこぎ続ける。

写真は瀬戸田の集落と向かい合う位置にある高根(こうね)島と、そこへ渡る高根大橋の写真である。島と島の間の狭い海峡をまたぐかわいらしい色の橋は、離島を訪ねている感じを、この区間で唯一感じられるものだった。

 

多々羅大橋を渡り大三島へ


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更に黙々と進んでいくと、視界に巨大な斜張橋が見えてきた。あれがお隣の大三島へと渡る多々羅大橋だ。
生口島に上陸して2時間余り。ようやく島を半周した。

もはや生口島に思い残すことはない(訳じゃないけど、この時の気分はそうだった)。
島の通り抜けに成功したウイニングロードは、橋へのアプローチ道路だ。最後の最後まで頑張らされるわけね。。。

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登っていくに従い、景色が上からの眺めに変化する。橋はかなり高い所を通っているので、まだ全然上の方だが、眼下には生口島の名産品であるレモンの畑が広がっていた。

レモンの葉が初秋のまだ強い陽光に反射してキラキラしている。なんかこういう風景もノスタルジーを想起させられる光景だ。
何故かはわからない。レモン畑など地元にはないので、どこで見た風景なのかさっぱり記憶がないのだが、自分が物心つくかつかないかの頃、どこかでこんな風景を見た気がするのだ。いや、もしかしたらテレビなどで見ただけなのかもしれないが。

いずれにしても、強い日差しとコントラストの強い緑の風景を見ると、何故か懐かしさを感じてしまうのだ。

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頑張って最上部まで上りきると再び料金所。ここも通行料は50円。
生口橋からここまで、概ね14キロほどの道のりであった。そこを2時間だから、途中休憩していた時間は考慮するとしても相当ゆっくりなペースである。荷物が無ければなぁ。。。

料金所手前の広場で橋をバックに自分の相棒を撮影してみた。
 

それから多々羅大橋へと進入。
この橋は長さが1480m有る。当時は世界一の長さを誇る斜張橋だったが、現在は中国の橋に抜かれて第3位とのことだ。
それでも1.5キロと言えば自転車ならかなり走りがいのある距離である。

長い橋なので少しペースを上げて漕いでみた。緩やかに吹く海風が当たり汗が引いてい心地よい。とは言っても、相変わらず陽射しは強く風は弱い。平地を走っている時は体温を下げてくれる風に恵まれないのが恨めしかったが、橋の手前はむしろ吹かない方がありがたい。

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生口島は広島県だが、大三島は愛媛県になる。そのため、両島の間で県境をまたぐことになる。
この橋の中央部がその県境に位置するらしく、中央部に差し掛かったところにその標識と、両県境であることを示すシールが貼られていた。

時間は既に15時近い。自分の予想では、今頃伯方島辺りを走っている筈だったのだが、未だに大三島にも到達できていない。
このペースで走っていたのでは、今治に着くころには日が暮れてしまいそうだ。松山に着いたら少しくらい伊予鉄道の写真撮影もしたいし、温泉に行く時間も確保しなければならない。

というかそれ以前に、背負った荷物がもはや体力を奪い続けるエナジードレインと化していて、体力も精神力も限界に近い。
ということで、サイクリングチャレンジは大三島で終了することにした。不甲斐ないが致し方なし。

 

橋を渡った先にある大三島は、自分の島旅9島目の島となった。
大三島は、残念ながらこれと言ったエピソードがない。大山祇神社という大きな神社があるらしいが、もはや行く気にもならなかった。

アプローチ道を再び下ると、県道に降り切る手前に道の駅「多々羅しまなみ公園」があり、そこにレンタサイクルの貸し出し場所がある。また、今治駅まで行くバスもここから出ているとのこと。

自転車を返却して自分の足でバス停まで歩く。スポーツバッグのひもが更に食い込んできた気がする。飲み物の購入とトイレ休憩を済ませてそそくさとバス乗り場に移動。

バスは程なくやってきた。乗り込んで適当な席に腰掛けて、文字通り肩の荷が下りた。
そのままバスは高速に乗って、伯方島、大島と進んでいく。当初はそんな島々の景色をこの目に焼き付けたいと思っていたのだが、延々2時間以上自転車を漕いだ自分はもはや疲労の限界だったらしく、出発して2,3分後には居眠りをしていた。

一応、上陸カウントとしては、伯方島が10番目、大島が11番目となるのだが、眠っている間に通過してしまったので、カウントに含めてよいかは微妙なところである。。。
 

次に気が付いた時には四国本土に上陸していた。駅までの道がやや混雑しているようで、ノロノロ運転をしていた。
それをぼんやりと見ていたら再び眠りに落ち、次に気が付いた時には今治駅に差し掛かる所だった。

ほどなくバスは今治駅に到着。

Posted by gen_charly