宮古島社員旅行【3】(2003/07/20)

佐良浜の奇岩


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伊良部地区から伊良部島と下地島を隔てる海峡に沿う道を北西の方向に進んでいくと、やがて海峡の幅が広くなってくる。その広がった部分が佐和田の浜である。日本の風景100選に選ばれている場所だそうだ。

この写真を見ていただくだけで、自分の説明を要さないほど独特な景観であることが分かると思う。
特に異様なのは、海上にゴロゴロと散乱する岩。これらは1771年に発生した八重山地震の津波(明和の大津波)によって運ばれてきたものだと言われている。

伊良部島は離島オブ離島なので文献が少ないのか、口承でのみ言い伝えられている。そのため、本当にその津波で運ばれてきたものという明確な証拠はないが、周囲はなだらかな砂浜が続いていて、岩の供給源となりそうな山体や崖などが見当たらないので、よそから運ばれてきたもの、という説には説得力を感じる。

では、これが津波によって運ばれてきた岩であるとして、その岩はどこから運ばれてきたものなのか、ということについても調査が進められているが、これについては諸説あるそうだ。
主だったものでは、近隣にあった島が津波によって破壊され、それが流れ着いたもの、という説や、地震で海底地すべりが発生し、それが運ばれてきたもの、という説が有力らしい。

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佐和田の浜を横目に海沿いをさらに北上すると、黒浜御嶽(くろはまうたき)がある。いわゆる祠だが、地元では拝所(うがんじょ)と呼ばれ、地域の信仰上の聖地となっている。

前出のサバぬにゃーんの歌詞の中にも、ずっと御嶽に籠って祈りをささげる信心深いおばあの話が出てくる。本土の神社でいうところのお百度参りのようなものだろうが、延々と籠るというのだから大変である。

沖縄にはこうした御嶽が点在していて、それぞれが聖地とされているので、場所によっては撮影を禁じられていることもあるそうだ。

 

下地島へ


御嶽からいったん戻り、途中の橋から下地島へ渡る。島旅21島目は下地島となった。
下地島に渡るとすぐに下地島空港にぶつかる。この空港の滑走路が今回の旅行の最大の目的である、ジャンボ機によるタッチアンドゴーの舞台である。
だが、周囲は緑に覆われていて、滑走路の様子はよく分からなかった。そこで、滑走路の周囲に沿って延びる道を通って滑走路が見やすい場所へ移動してみることにした。

下地島空港は当時は旅客営業をしておらず、離着陸訓練専用の空港として使われていた。元々人が殆ど住んでいない島ということもあってか、ターミナルの周辺は店の一つもなく閑散としていた。

 

折角空港があるのだから玄関口の一つとして活用しようと、かつて散発的に旅客便を就航させたことがあったようだが、伊良部島に用事のある人の母数がもともと少ないうえ、宮古島にも空港があるので、わざわざフェリー乗り継ぎの手間をかけてまでこの空港を利用するメリットもあまりなく、結局うまくいかずに後に撤退している。

だが、近年伊良部島大橋が開通して宮古島と地続きとなったことで、宮古島へアクセスするための空港としての利用価値が高まり、ここ数年で再びLCCが複数乗り入れるようになったそうだ。一方、離着陸訓練はもう行われていないとのこと。

 

話を当時に戻す。旅客営業が行われていなかったので、当時は空港の建物内に入れそうな雰囲気が全くなかった。ちゃんと確認した訳ではないが、敷地に立ち入って万一咎められたら嫌なので、建物は素通りして先へ進んだ。

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道はコンクリート舗装になっていて、どことなく日本離れした、グアムやサイパンあたりのような雰囲気を感じた。

この道は、旅客便乗り入れ開始後は保安上の理由で自動車乗り入れが禁止されたとのこと。
空港建物が見られなかったのは残念だったが、一方でこの道を通行できたことは貴重な経験だったようだ。

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しばらく進んでいくと佐和田の浜が右側に見えてくる。
こちらの写真の方が岩がゴロゴロしている感じがより伝わるのではないかと思う。
こうしてみると、どこかから流れ着いた岩が転がっているように見えなくもないが、逆にこのあたりがもともと陸地で、地震によって不等沈下して海中に没した、とか逆に隆起して海底地形が露になった、なんていう可能性もありそうな気がする。

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佐和田の浜を過ぎると空港の滑走路がすぐ左に寄り添ってくる。右側はすぐ海なので、自分の居場所はこの数mしかない。
この辺りは滑走路はフェンスで仕切られているだけなので、フェンス越しに撮影できそうな気もしたが、一度先端部分まで行ってみてそれから考えようと思う。

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さらに進んでいくとこんなものがあった。傍らに立てられた説明版によると魚垣(ながき)というものだそうだ。
浅瀬の海に満潮時に水面下に沈み、干潮時に水面から顔を出すくらいの高さに、石を陸から半円形に積み上げたもので、満潮時に紛れ込んだ魚を干潮時に捕るためのものだそうだ。

地元の言葉ではカツ(宮古地方の方言で「垣」を表す)と呼ばれているとのこと。

 

下地島空港のタッチアンドゴーを見に


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さらに進んでいくと滑走路の先端になった。道はここで空港の敷地に沿って左に曲がる。だが、その先端部分にはさらに沖合へと橋のようなものが架かっていた。これは橋ではなく飛行機の誘導灯(正しくは計器着陸装置(ILS)と呼ばれるもの)だそうだ。

ここはキムタク主演のドラマ「GOOD LUCK!!」のロケで使われてたそうだ。と言っても見てないので知らんけど。
眼前に広がる海の色は美しいマリンブルー。こんな日本離れしている風景、国内にはそうそうないので、さぞ映える映像が撮れたことだろう。

 

滑走路わきからタッチアンドゴーの様子を見るのもよさそうだが、なんかこの素晴らしい景色の元へ着陸してくる飛行機を撮る方がいい写真が撮れそうだったので、ここで飛行機がやってくるのを待ち構えることにした。

で、そのタッチアンドゴーだが、ガイドブックには実施日や時間などが書かれていなかった。なのでやってきたはいいけど、今日は実施日ではない可能性もある。そうなったら徒労だが、ドクターイエローくらいの感じで見られたらラッキーと思っておくことにしよう。

果報は寝て待て。車の窓を全開にして少し昼寝としゃれこむことに。飛行機が飛んで来たらその音で目覚めるだろう。

外気は今日も35度を超える猛烈な熱波が押し寄せているが、車の中は日陰になって、全開放した窓からは潮風がそよそよと流れ込んできて、案外快適だった。
社員旅行だろうが自分が計画した旅行だろうが、こんなところで昼寝するなんてまず考えられない。そう考えると、なんかとても優雅なことをしている気がする。午睡できる幸せを噛みしめながら、ウトウトと眠りについた。

 

それから1時間弱眠っていたようだが、飛行機は一向に飛んでこなかった。。。
果報は寝て待ってももたらされなかった。このまま待ち続けても忠犬ハチ公状態になりかねない。あまり長居しているとこの後の観光にも差し支えてくるので、結局飛行機を待つのはこれで終了。
旅の一番の目的は未達に終わった。残念だが仕方なし。

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ということで再び出発。この先滑走路わきの道路を進んでいくと、島の西側に点在する観光スポットへ行ける。そのうちの一つ、通り池へと向かった。通り池については後述する。

ちなみに、この通り池の少し先に高さが12mもある帯岩というものがあるらしい。帯岩もまた八重山地震の津波で流されてきたもの、と言われている。
だが、ここは海面から数十mの高台である。そんなところにそんな巨岩が流れ着くなんてあり得るだろうか。。。と思っていたのだが、一説によるとこの時の津波の波高は80m以上あったともいわれている。以前はそんな巨岩がほかの場所にもゴロゴロと転がっていたらしい。だが、下地島空港を建設する際に全て撤去したとのことだ。

自分はその帯岩は見に行けなかった。道中に案内看板のようなものを見つけることができず、どこからたどり着けばよいのか分からなかったからだ。

 

曲元の浜


更に進んでいくと島を一周して、再度伊良部島に面する海峡の南側部分に至る。
そこから伊良部島側に渡って程なく渡口(とぐち)の浜と呼ばれる伊良部島きってのビーチがある。

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リライト前は上の写真を渡口の浜の写真として公開していたが、改めて地図を見直したらどうも違うようだ。
渡口の浜から下地島の曲元の浜を撮ったものらしい。

渡口の浜でちょっとしたトラブルがあり、その対処で動揺していたせいか、この辺りの記憶がやや曖昧である。それでどうも思い違いをしてしまったようだ。

そのトラブルだが、渡口の浜で車を砂にスタックさせてしまったのだ。
浜へと入る道は暫く舗装路だが、浜の手前で砂地に変わる。だが、砂は良く締まっていて轍もあったので、もう少し入って行けるのだろうとそのまま車を進めたら、海の家を少し過ぎたあたりで急に砂が柔らかくなり、そこで車輪を取られて動けなくなってしまった。

慌てて何度か前進後退を繰り返して脱出を試みたが、車はピクリとも動かない。やべぇ。。。
レンタカーでしかも離島である。万一このまま車を救出できなければレッカーを呼ばなければならない。休業補償だとか考えただけでゾッとする。

とりあえずタイヤの下に敷くものがあれば抜け出せるのではないかと思い、目の前の海の家に段ボールを貰えないか相談しに行ってみることにした。
店内で店番をしていた女の子に事情を話したところ、1つだけ余っている段ボールがあるということで分けてもらうことが出来た。
それをバラシてフロントタイヤの下に敷いて、祈るような気持ちで車を動かしたところ、無事脱出。。。

まぁ、そうしたトラブルがあって動揺していたので、記憶が曖昧になってしまった、と言う話だ。

 

そんなこんなで時間は過ぎ、ぼちぼち宮古島に戻る船の最終便が出港する時間が近づいてきた。
まだ島で見られていない場所がいくつかあるが、時間切れである。これもまぁ仕方ない。

フェリーには無事間に合って、宮古島に帰ってきた。

 

長間ビーチで日没を見る


ホテルに戻って一息ついた後、カミさん(当時はお付き合いしたての彼女)に夕日を見に行こうと誘ってみた。カミさんと合流すると同僚の子がもう1人。一緒に連れてってほしいという。
ホテルのフロントでおススメの場所を聞いたら来間島の長間ビーチがオススメとのことで、女子2人を連れて夕日の見物に。

来間島に渡り、手元の地図を頼りに走らせていく。長間ビーチの場所は分かるのだが、道から浜へ降りる道が分かりづらかった。
どうにか浜へ降りると、そこは渡口の浜と負けずとも劣らない綺麗なビーチが広がっていた。
そして時間もジャストタイミング。

これまでずっと、南の島のサンセットとか言ったって、所詮ただの日没じゃん、などとヒネくれていたがなかなかどうして、こうしてみると見事なものである。

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こうしてシルエットにすると絵になるでしょ?

ちなみに、この長間ビーチは少し前から入場料を取るようになったらしい。果たして入場料を払ってでも見たいという人がどのくらいいるものだろうか。。。

 

日没を見届けたらお腹が減ってきた。今日はホテルの食事がないので、平良市街まで行ってどこかで食事をして帰ろうということになり、市街を流して見つけた「海の幸」という店に入ってみた。

ただ、何を食べたかはあまり憶えていない。もちろん琉球料理を基本にチョイスしている筈。
ひとつ覚えているのは海ぶどうを食べたこと。海ぶどうは名前は聞いたことがあったが、食べるのは初めて。

粒々の部分のプチプチとした食感がたまらない一品であった。

話の種は、2人の今日のアクティビティの話だったり、自分が散策してきた伊良部島や下地島の話だったり、なんて話だ。それ以外はまぁ、職場の愚痴である。
カミさんとは当時お付き合いを始めていたわけだが、職場の人にはそのことを伏せていたので、もう1人の同僚の子に悟られないように会話するのは少し神経を使った。

 

で、ホテルへと戻る道すがら、こんなに空気の良い場所なら綺麗な夜空が見えるのではないか、と考え、メイン通りから一本奥の裏道を通ってみることにした。

狙いは的中、裏道は街灯の明かりも少なく、迫りくるような満天の星空を見ることが出来た。
冒頭にも書いたとおり、宮古島にはハブが生息していないので、安心して夜空を堪能することが出来た。蚊には少々悩まされたが。

30分くらい眺めてお開きとなり、ホテルへと戻り解散となった。

 

自室に戻り、撮影してきた写真のチェックをしていたら携帯が鳴った。カミさんからだ。
なんでも、同室のもう1人の子が戻ってきて、明日の予定をどうするか相談したんだけど、特にこれと言って見に行きたいところもなくて、車を運転できる人もいないので、どうしようかという話になっているらしい。

だったら、明日伊良部島に行ってみる?と提案してみた。そしたら満場一致で行きたい!という話になった。
伊良部島・下地島は上述のとおり色々見残しをしてきてしまったので、もう一度訪問してもいいかな、と思ったのだ。

既に下見もバッチリなので、ガイドも大丈夫だろう。
宮古島の観光が殆どで来ていないが、どうしても見たいところがあるわけでもないので、まぁ、いいか。

Posted by gen_charly