名古屋出張2023【4】(2023/04/16)

長話


部屋の片隅にレジカウンターがあり、そこに立つおじさんが、館内を見学していた若いカップルと会話していた。
カップルは良い景色を求めてここへ来たらしく、おススメの撮影スポットをおじさんに聞いていた。おじさんは傍らの地図を指さしながら熱心に付近の撮影スポットを彼らに説明していて、レジに並ぼうにも、なんか邪魔するような気がして気兼ねしてしまった。

暫く展示物を眺めながら時間つぶししていたら、5分ほどで彼らが離れて行ったので、ようやくお会計。

おじさんは本を袋に入れながら、「大西暢夫さんはご存じ?」と聞いてきた。
自分は氏が執筆した「僕の村の宝物」という本を持っているので存じ上げている。その旨を返答すると、門入がなぜ陸の孤島として取り残されてしまったのか、という話を聞かせてくれた。

曰く、ダムを作る時は、通常付け替え道路を先に整備した後にダム本体の工事を開始する、という順番で進めるのが一般的な段取りであり、徳山ダム計画における地権者との交渉でもそのように取り交わしていたという。
ところが、田中康夫氏が2000年に長野県知事に就任し、脱ダム宣言をした辺りで、世間のダム建設に対する風当たりが強くなってしまった。

水資源開発機構というダム建設を推進している団体が、そうしたさなかに突如、門入への付け替え道路は作らない、という方針を一方的に打ち出した。門入の住民も移転し無人の地になるのだから道を作る必要がない、という判断に基づくものだった。

ただでさえダム建設への風当たりが強くなっている時期に、住民との交渉を蔑ろにしてそんな方針を発表したら紛糾するのは必然。特に水没しない門入集落の地権者に相談することなく一方的に決めてしまったので、門入の地権者は猛反発したという。

ところが、当時の自治体(藤橋村)がその方針に同調する見解を示す。徳山村は前述のとおり既に自治体としては消滅していて、当時は藤橋村の所属になっていた。
藤橋村としては、かつての隣村の話なので、特に思い入れがなかったのだろう(おじさんはこれを「裏切った」と表現していた)。

地元の自治体が異議なしとしたため、付け替え道路を建設することのないまま、なし崩し的に堤体工事を開始し、そのまま湛水まで進めてしまった。これにより、門入地区は水没もせず先祖代々の土地がそのまま残っているにも関わらず、そこへ行くことが容易でない陸の孤島になってしまった。

 

本来なら門入地区の住民も国に土地を売却のうえ移転して円満解決となるはずだったのだが、そのようなことがあったため、一部の住民は土地の売却を拒否した。そこへ支援団体などが介入して、土地を細切れにして登記するなどの防衛策を繰り出したため、門入の土地は未だに民有地が点在したままになっている。

民有地があり、そこに行き来する人がいるということは、即ちそこへアクセスするための道が必要という話になる。無双をした機構だが、こうした事態に至ることを予想できなかったのだろうか。流石にこの問題を無視するわけにもいかず、門入地区までの付け替え道路を建設する方針に舵を切ったということだが、未だに着工する気配がないという。

で、上述のとおり、いわば暫定対応として機構が用意した船で戸入近くの港まで船でアプローチできるようにしているとのこと。
そうした裏話があったことは寡聞にして知らなかったが、裏取りのためにWikipediaを見ていたらほぼ同じことが書かれていた。

ちなみに、おじさんの話によると、ダムと言えば様々な理由で反対を主張する人や団体があるが、村民にとってダム建設はそういう単純な話ではなかったという。

村にある自然はまたとない宝物であり、また、先祖代々受け継いできた土地を手放すことに対する葛藤は根強かったが、一方で計画が立ち上がった当時ですら、何をするにでもお金が必要であり、自給自足だけでは暮らせない時代になってきていた。また、村の場所は山奥のさらに奥のであることから、自分らの住まうこの地が将来性がない土地であるということもしっかり認識されていた。

将来性のある土地へ移転するということに新たな希望を求める意見も多くあり、離村という判断はそれはそれで仕方のない判断だった、とのこと。

 

自分も(所詮、一部外者なので言っても詮無いが)そのような判断になったことはやむを得ない面があると思う。実際、林業や炭焼きで生計を立てていくということは、その需要が減った時代においては大変なことであり、近隣の県などでも生活が立ち行かず離村してしまった集落がいくつもある。

良い条件で村を離れるという決断は尊重しなければならないと思う。
生活が立ち行かなくなることは、その人にとっては死活問題であり、気持ちの問題だけで反対とばかり言っていられないリアルがある。
そう言った意味で、おじさんの話は目的と手段をはき違えた反対のための反対という声に対して、村の判断はそんな簡単なものではなかったのだ、と釘を刺しているように感じた。

で、おじさんの話はまだまだ続く。
山奥にある村において住民の結束は強く、皆助け合いで生きてきた。具合の悪い人がいれば、その人にあれこれ手助けをしてどうにか支えあってこれまでやってきた。だが、移転先の土地ではその助け合いがうまく機能していない部分があるそうだ。
その部分のフォローは行政による支援という形でなされているが、支援と支えあいは全く異なることであり、支援をするというだけでは、これまでのような支えあいながらの暮らしは維持していけない、という話もあった。

その他、山の植生はとても豊かなもので、それは藤橋のあたりとも違う、という話や、村人は朴訥で真面目な人たち、というイメージを持たれるが、朝から酒を飲んでいるようなしょうもないオッサンも沢山いた。でも皆助け合いで暮らしているので、雪かきなど皆で協力し合った、という話などなど、話題は尽きなかった。

なんか、もう1時間くらい立ち話をしている気がする。ダムの堤体にも再訪したいし、道の駅の資料館にも寄ってみたい。
だが、村人であったおじさんの体験談などはどれも興味深く、話の腰を折りたくないという思いもあって、時計は確認せずにいた。

とはいえ、レンタカーを借りている時間は18時までなので、ぼちぼち戻らないとならない時間(な筈)だ。
いい感じに話が途切れないかな、と思いながら話を聞いていたら、丁度館内に訪ねてきた他の客が、シアタールームで上映されるビデオを見たいと申し入れてきた。

おじさんがそちらへ離れるタイミングで、ぼちぼち行きます、と言って会館を後にした。

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建物の屋上は展望台になっていたので、ついでに登ってみた。なんかフィヨルドみたいな印象の谷間だ。

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展望台から、件の門入方面への渡し舟が係留されているのが見えた。湖の真ん中に係留されているのは水位変動で座礁しないようにするためだろうか。

 

展望台から戻ってきて、時計を見たら間もなく16時30分になろうかという時間だった。
それを見て青ざめた。どう考えても返車時間に間に合わない。。。

一宮から根尾谷までの道のりは、たっぷり3時間近くかかっている。ということは戻りもそのくらいかかる筈。。。
慌てて車に戻りナビで目的地を設定。高速を利用することで2時間程度にはなるようだが、それでも30分オーバーだ。

まぁ、ナビの予想時間は実際よりも長めに出ることが多いので、もしかしたらギリ間に合うかもしれない。ともかく出発。
店には間に合わないことが確定したタイミングで連絡すればよいだろう。
ということで、ダウンヒルを快調に飛ばして麓に降りる。ダム堤体も道の駅も寄っている暇はない。またしても見残しを作ってしまった。。。

大野神戸ICから高速に入り、養老ジャンクション、一宮の順に進んだら、だいぶ巻き返せた。
途中で給油を済ませて店に到着したのは返却時間の3分前だった。間に合ったー。

上述のとおり、名古屋発の新幹線は20時である。そう考えるとあと2時間ある。お土産なんかを買っていれば時間が潰せるかな、と思いつつ名古屋へ。

日曜日夕方の名古屋は旅行客でごった返していた。ピーク時の新宿駅のような人混みである。もう、コロナ禍という言葉も死語となりつつあるのか。

みやげ物屋も軒並み大行列だ。カミさんの好物である伊勢の赤福を買って帰りたいと思ったのだが、並んでいたら日が暮れてしまう。暮れているが。

ということで、どこか近隣の別の場所で買えないか調べてみたら、高島屋に赤福の直売店があることが分かった。
行ってみるとそっちは行列0。待たずにゲット。

ただ、そうして並ばずに買ったので、新幹線ホームに上がってもまだ30分くらい時間があった。
なんか、レンタカー返却のために大急ぎで帰ってきたのがアホみたいだ。。。

(おわり)

Posted by gen_charly