沖縄社員旅行【2】(2005/09/17)

浜屋


そんなわけで、いまいち煮え切らない離島めぐりを済ませて、再び沖縄本島へと戻ってきた。
お次はYちゃんのリクエストで浜屋という店で沖縄そばを食す。店は北谷(ちゃたん)町にあって、今いる場所からだと島の反対側の海岸沿いになる。

この店は沖縄で一二を争う有名店ということだが、我々が訪れた時は食事時の時間から外れていたせいか、並ぶことなく入ることが出来た。

店の外観を撮影していないが、外観はいかにも地元相手の食堂といった趣の店だ。観光客が気軽に入りづらそうな雰囲気だったが、Yちゃんの手前怖気づくわけにもいかず、素知らぬ顔で入店した。

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で、注文したのは浜屋そば。ソーキが乗っている。
浜屋そばは小と大がある。まだ10時前だが、今日は4時に起床しているので、既に6時間が経過している。腹もいい感じに減っているので大を選びたくなったが、この後食べ歩きが続くので小で我慢。

沖縄そばは麺がややぼそぼそとした感じがあるが、かつおだしのスープと一緒に食べると実に美味い。ソーキも柔らかく煮込まれていて、絶品だった。

小さいサイズなので、空腹の自分の胃袋にあっという間に収まってしまった。食事している間に徐々に店内が混んできたので、食後はそそくさと店を出る。

食事がやたらと遅かったり、食事が済んでいるのに混雑を気にせず長っ尻したりする女性がいる。Yちゃんがそういうタイプだったら、一緒に行動してストレスを感じそうで心配だったのだが、そういう所はちゃんと弁えている子だった。食事は手際よく済ませて、速やかな退店に不満そうな顔をすることもなく出て来てくれたので、安心感あった。

この先もお互いが楽しい旅にしたいところだ。

象のオリ


次に向かったのは楚部(そべ)通信所である。通信所とは?と言う話だが、米軍の軍事通信の傍受施設である。
この施設は国が代執行することで地主から借用した土地を米軍へ提供、と言う体裁をとっていたが、その借用期限の更新の少し前に米軍兵による婦女暴行事件が発生したことで、沖縄県民の対米軍感情が悪化。その影響で地主や当時の沖縄県知事が土地の賃貸契約の更新を拒否した。
それを受けて、国は沖縄県を相手取って訴訟を起こす事態にまで発展した。

そうしたナーバスな問題だけに、よくニュースでも取り上げられ、その施設の形状から「象のオリ」と表現されていた。
訴訟の方は正直なところあまり興味がなかったが、象のオリと言うものがどんなものか一度この目で見たいと思ったのだ。

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これが象のオリ。読谷(よみたん)村と言う所にある。
この円形に配された鉄塔は傍受用のアンテナだそうだ。写真では比較対象があまりないので分かりづらいと思うが、とにかく巨大なアンテナだった。

こんなに大きなもの、象の檻として使うなら象はよほど快適だと思う。なんなら恐竜を囲っておくことも出来そうなほどのサイズ感だ。

上記の事件をきっかけとして、通信施設の移転を条件に返還されることが決まったのだが、この旅行時はまだ返還前だった。
米軍の施設と言うことで物々しい雰囲気になっているのではないかと懸念したが、付近一帯は長閑な雰囲気に包まれていた。

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施設に隣接するグラウンドでは、少年野球の試合中で、

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海の方を向けば、アメリカンテイストな塀の向こうに大海原が広がっていた。

ということで、ただ見学しただけだったが見られて満足だった。Yちゃんからこの施設はどういうものなんですか?と聞かれて説明に四苦八苦したことは内緒であるw

斎場御獄


さて、次である。今度は趣向を変えて斎場御獄(せーふぁうたき)へ行ってみることに。
御嶽とは、本土で言う所の神社のようなものであるが、この御嶽は沖縄で一番位が高い聖地とされている。

2000年に世界遺産へ登録されたので、ご存じの方も多いと思う。

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ということで到着。この御嶽は一般開放され自由に見学ができる。見学自由な御嶽は割と珍しいのだそうだ。
※2007年から有料化している。

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御嶽までの通路は石畳になっている。ここを2人で歩いていたら、向かいから職場の別部署の上司が歩いてきた。げ、こんなところで。。。

その上司は我々を見るなりニヤニヤしながら目を細めて、「ふーん、2人はそういう関係なのかぁ!」という目つきで我々をじろじろと眺める。なんか慌てて否定するのも藪蛇な気がしたので、しれっと挨拶だけしてすれ違った。

なんか誤解されたよね、とYちゃんに話すと、まぁ、それならそれでいいんじゃないですか?とさらっと返された。
なかなか肝の座ったお嬢さんだ。そんな風に堂々としてくたらむしろ清々しいwよし、それで行こう。

前述のとおり、カミさんとのお付き合いを公表していなかったので、その上司からYちゃんと付き合っているというミスリードが広まることは、こちらとしてもカモフラージュになるので、むしろ好都合だった。

それはさておき御嶽である。御嶽へ続く通路は森の木陰になっていて、うだるような暑さも一息。
そのまま進んでいくと広場に出た。

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大庫理(うふぐーい)と呼ばれる場所である。
左手側はオーバーハングした絶壁がせり出していて、その下には祭祀に用いる道具などが点々と配されていた。

大庫理は一番座という意味で、一番座はいわゆる客間を指す言葉である。
その祭壇の上のオーバーハングした崖から牙のような石が突き出している。見た感じ石灰岩っぽい岩に見えるが、こうした風雨にさらされる場所で鍾乳石が発達したという話は聞いたことがない。なので、どのような理由でこんな造形になっているのか不思議だった。

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その先にあるのが三庫理(さんぐーい)
この御嶽の象徴とも言うべき場所である。御嶽入口のモニュメント(3つ上の写真)もこの場所をモチーフにしている。

巨岩が岩盤にもたれかかれるようになっていて、その下がトンネルのようになっている。傍らに立っている子がYちゃんである。人のサイズと比較するとその巨大さが分かると思う。

ご覧のとおり、もたれかかっている方の岩盤はまっ平らに切断されたような面を向けている。
人工的なテクスチャのように見えるが、これほどの物を古代の人たちが人力で切り出すのはまず不可能だろう。恐らく断層面のようなものと思われるが、そうした神秘性もここが御嶽として祀られるようになった理由の一つなのかもしれない。

このトンネルを通り抜けると、その向こうは三方を岩に囲まれたこじんまりとした拝所となっている。

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一方のみ木が生い茂り、その木々の間から額縁で切り取られた絵のように、海と久高(くだか)島の姿が見えている。
久高島も沖縄信仰の最高聖地とされる島であり、その島を遥拝しながら祈りを捧げるのにまたとない場所になっている。

そんな久高島を遥拝できる場所であるがために、この場所が最高位の御嶽となっているのかと思っていたのだがそうではないらしい。と言うのも、かつてはこの海に面した側にも岩があって、久高島は見えなかったのだそうだ。
当時は四方を絶壁に囲まれた閉鎖的な空間だったらしいのだが、岩が崩れてしまってこのような風景が生まれたのだという。

とはいえ、斜めにもたれかかった岩によるトンネルも、久高島方向だけ見える拝所も、偶然の産物にしてはあまりにも神秘的過ぎる。
そこに何らかの神がかり的な作用があったとしてもおかしくないな、と思った。

浜辺の茶屋


ということで、再びの島グルメタイム。少し早いが浜辺の茶屋というカフェでおやつである。もちろんYちゃんのリクエスト。
斎場御嶽から海岸沿いに南下していくと浜辺の茶屋がある。

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昼時は過ぎているがおやつには少し早い時間帯と言うこともあり、この店も待たされる事なく席へ案内された。
我々をカップルだと思ったのか、海に面した雰囲気の良いカウンターへ案内してくれた。まぁ、普通そう思うよな。ある意味、役得。

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自分はチーズケーキ、Yちゃんは三色のアイスクリーム。アイスの種類は忘れてしまったが、色からしてバニラ、抹茶、紫芋、だろうか。

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そしてドリンク。これも何を頼んだか忘れてしまった。。。この映えな配置はYちゃんの発案。自分ではこうはいかない。

目の前は遠浅の海。潮が引いているので海底だった場所が遠くの方まで露になっていた。これはこれで味わいがあるが、満潮の時間帯にやってきたら更に南国ムード満点なカフェが楽しめたと思う。とはいえ、店があまり混んでいなかったのもあって、南国の海と空をぼんやり眺めながら、スイーツに舌鼓を打って小休止。

少しのんびりとさせてもらった。

玉泉洞


休憩も挟んで本日の観光もクライマックス。次に向かったのはおきなわワールドである。沖縄文化に触れることの出来るテーマパークだが、目当ては施設の一角にある玉泉洞だ。玉泉洞は沖縄きっての大鍾乳洞である。浜比嘉島を例に出すまでもなく、洞窟があったら行ってみたくなるのが男の子と言うものであるw怖じ気づいたけど。。。

沖縄に来た以上その文化に触れることも大事だとは思うが、夕方に食事会が控えているなか、他の見どころも消化していかなければならないことを考慮するとじっくり見学する時間がない。

一応、そう言う訳なので洞窟しか行かないよ、と言う話はYちゃんにもしてある。彼女もそこは問題ないとのこと。

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と言うことで洞窟へ進入。洞窟と言えば入口が狭く、細い通路を潜り抜けた先に大広間があるような印象だが、ここはいきなり大広間が広がっていた。
洞内は妙に生暖かくて湿っている。洞窟は寒い場所、と言う先入観で入ったので最初もの凄い違和感を感じた。

だが、このサービス精神にあふれる鍾乳石の数々はどうした。これほどまでに見事な空間とは思わなかった。

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別のエリアには剣山を逆さまに取り付けたのではないかと思うほど鍾乳石が密集しているところもあった。
本土の鍾乳洞でこれほどまでに密な鍾乳石が見られる鍾乳洞は入ったことがない。

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洞内には地下水の水路があり、そこがライトアップされていた。ブルーのライトはちょっとあざとい感じもするが、これまた神秘的な光景である。

一周して外に出る。照り付ける陽射しに思わず目を細める。外は相変わらず熱気が強烈だが、時折吹き抜ける風がまとわりついた湿気が飛ばしてくれて、暫くは快適だった。
だが、車に戻ったら冷房を全開にしたのは言うまでもない。洞内がもう少し涼しければねぇ。。。

首里城


本日の観光もいよいよ次でラスト。沖縄観光の定番中の定番、首里城である。ここを見ないで沖縄を語れるか、と言う話で。
ただ、定番観光地なので、ネットにも記事は沢山ある。自分の拙い文書よりはるかに読み応えのある文献も多いので、当方は細かい解説は省略する。

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まずは守礼(しゅれい)門。2000円札に描かれている門であるが、当の2000円札はあまり流通されていなかったせいか、ここ最近はまず見かけなくなってしまった。時代のあだ花的なお札であった。

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守礼門をくぐって少し歩くとその先にあるのが歓会(かんかい)門
本土にあるお城とは全く雰囲気が違う。どちらかと言うと中国や台湾辺りの寺院のような雰囲気を醸し出している。

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城は山のてっぺんに作られるものなので、周辺の遊歩道もあちこちアップダウンしている。

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階段を登った先は展望台のようになっていて、那覇市街のみならずその向こうに海までもが一望できた。

すでに夕方に差し掛かろうかと言う時間だが、まだ多くの観光客の姿が見える。まぁ、自分らもその1人なのだが。

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そして正殿。かつてはこの建物の中で色々な政(まつりごと)を行っていたそうだ。
手前の広場は御庭(うなー)と呼ばれていて、右手に南殿(なんでん)、左に北殿(ほくでん)が建っている。

沖縄と言うとのんびりとした時間軸の中であくせくせずに日々を過ごしているような印象があるが、こうした政治をつかさどっていた人たちはどうだったのだろうか。やっぱりオキナワンタイムだったのだろうか。

さて、本日は食事会で全員集合しなければならない。時間は18時から。時計を見ると16時を回っていたので、ぼちぼち会場に移動することにした。

会場は那覇市内にあるステーキハウスと言うことなので、2時間前行動はちょっと早すぎるのでは、と思うだろうが、沖縄は車社会の島で、特に那覇市街の朝夕のラッシュはなかなか強烈らしい。そんなところにハマったら遅刻してしまうかもしれない。今回の社員旅行で一番のマストタスクなので、それだけは避けねばならない。

さらに言えば、店に入る時間も重要だ。あまりギリギリに到着すると、既に仲の良い人同士である程度カタマリが出来ていて、微妙な人の近くしか空いていない、なんてことになりかねない。そうなったら面倒なので早めに入店してしまうことにした次第。

諸々の読みどおり、40分ほど前にステーキハウス最寄りの駐車場に到着し、30分前に店に入った。程よく人が入り始めたタイミングで、仲の良い同僚の近くの席が空いていたので、そこに着席した。

もちろんYちゃんとは別行動である。

宴はつつがなく終わった。ステーキはうまかった。
それから30分ほどでホテルに帰着。20時半なのでまだ宵の口と言ってよい時間だが、早朝から行動開始していた自分らは、もう疲労も限界。おのおのシャワーを浴びて、早々にベッドにもぐりこんだ。

全く変なことを起す気にもならないまま、爆睡。。。

Posted by gen_charly