房総半島のローカル鉄道(2007/05/04)

この年、カミさんのお姉さんが無事ゴールインとなり、義兄と共に木更津に居を構えた。木更津と言えば久留里線の始発駅である。
これまで千葉以南の房総半島エリアは、訪問に時間がかかる割に撮影対象が多くないということであまり縁がなかったのだが、久留里線のみならず、いすみ鉄道や小湊鉄道など、魅力的なローカル線がいくつかあるエリアでもある。

木更津に親戚、となれば、これらの鉄道を効率よく撮影して回れるまたとない足掛かりとなる。というわけでGWのお休みの折に訪問してお世話になってきた。もちろん馬鹿正直には言わない。木更津と言えば潮干狩りで有名な土地である。潮干狩りをするために木更津に行こう、というのが表向きの訪問の目的である。


2007/05/04

というわけで、前日は潮干狩りに出かけた。撒いているアサリを拾うだけだから、適当にやってもそれなりの収穫になる。お店で買った方が、というセリフは禁句だw

それを持ち帰って、義兄の家で砂抜きしてもらっている間に、カミさんと義姉はショッピングに出かけるとのことだ。義兄も別の用事で出かけるということだったので、これ幸いと単独行動をとり当初の目的を果たすことに。移動はもちろん車である。このエリアを鉄道で回っていたら1日じゃ回り切れない。

まず最初に向かったのは、経路上の久留里線横田駅。

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程なくやってきたのはキハ37+キハ38の時代のあだ花コンビ。

キハ40というローカル区間を中心にオールマイティに使えるよう開発された系列があるのだが、そういう設計思想で製作されたため、重厚な設計となっており高コストな車両となってしまった。

その反省から低コストに製作する目的で開発されたのがこのキハ37である。徹底した低コストで製作された形式なので、全体的にそっけない印象になっているが、離れ目の尾灯などにキハ40の面影も感じる。
半分試作車的な要素があったせいか、製造は5両に留まり、久留里線と関西の加古川線に配属された。

そんな訳で関東近郊ではここ久留里線でしか見ることが出来ない車両となっており、小学生時代の自分にとってここまで来るのは相当な気合が必要だったこともあって、ずっと目にする機会がないままとなっていた車両のひとつであった。

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さて、その反対側に繋がれた車両がキハ38。キハ37から遅れること3年、1986年に誕生した車両だ。

昭和の終わりごろ、南関東(東京、神奈川、千葉、埼玉)には国鉄の非電化路線が5路線あった。川越線、八高線、相模線、久留里線、木原線である。
いずれもタラコ色のキハ30系列が幅を利かせる首都圏近郊路線であったが、このうち、川越線は一足早く埼京線開業と同時に電化され、木原線は平成突入を前に第三セクターのいすみ鉄道に移管された。

以降、相模線と八高線がもっぱらキハ30系列の主戦場となっていたのだが、この系列は登場からかなりの年数が経過しており、老朽化が著しくなってきていた。そこでそれらのリプレースを目的として八高線向けに投入されたのがこのキハ38である。だが、当時の国鉄は末期的な赤字経営状態で、新車を製造することへの風当たりが強く、結局6両のみしか作られなかった。

ちなみにもう一つの非電化路線である相模線にはキハ38を含めた新車は配置されなかったのだが、こちらは民営化後の1991年に電化し、オリジナルデザインの205系500番台が配属されたことで一挙にイメージを一新した。

キハ38が配備された八高線であるが、僅か6両では全ての車両を置き換えられる筈もなく、相変わらずキハ30系列が幅を利かせていた。一部キハ20、23、40あたりの系列も在籍していて、それなりに賑やかな所帯だったのだが、1996年には南側の八王子~高麗川間が電化された。残された北側の非電化区間にはキハ110系が配備され全車置き換えられたため、働き口を失ったキハ38は、唯一残った非電化路線である久留里線に転属して第二の人生を歩むことになったという次第。

そんなわけで、両形式合わせて11両しか製造されなかった珍車が大集結した久留里線だが、上述のとおりなかなかに辺鄙な場所だったので足が向かなかった。

ようやく訪問を果たせて満足。小奇麗な久留里線オリジナルカラーに塗られているが、ちょっと頑張りすぎている感がなくもない。八高線時代の塗分けの方がシャープでカッコいい印象があり、この塗分けはあまりしっくり来ていないと思ってしまうのは自分だけだろうか。

列車を見送った後、今度は終点の上総亀山駅へ向かった。

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やってきたのはさっき横田駅で見送った編成だった。車の方が早く着いてしまうのが物悲しい。

久留里線はこの上総亀山駅が終点の盲腸線だが、西にあと数キロ進むといすみ鉄道・小湊鉄道の上総中野駅がある。当初は木原線と接続して房総横断鉄道として建設する計画があったようなのだが、実現しなかった。

もし両線が接続して一本の路線になっていたら、木原線の3セク移行の際に久留里線も一緒に移行されていたか、逆に木原線が移行されるのを免れていたかしていたかもしれない。

さて、これからその上総中野駅に向かう。車があるからこんなワープも容易だが、鉄道だけで移動するととんでもない遠回りを要求される。

上総中野駅は上述のとおりいすみ鉄道の終点であると同時に、小湊鉄道の終点でもある。
小湊鉄道は内房にある市原市の五井駅からここまでを結ぶ路線である。だが社名の小湊は外房にある地名である。これは当初、五井と小湊を結ぶ目的で創立したためにそういう社名になっているのだが、木原線と上総中野で接続したのを最後にその夢は潰えている。だが、結果的に小湊鉄道といすみ鉄道によって房総横断を果たすことが出来ているのはなんか皮肉めいている。

暫く待っていると、先にやってきたのはいすみ鉄道の列車だった。

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レールバスタイプのいすみ200形である。あまり特徴がない車両なので、個人的には興味の対象ではなかったのだが、折角なので撮影。
それにしてもGW期間だけあってものすごい乗客数である。

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線路際の大きなクヌギ(かな?)の木と一緒にフレームに入れてみたらちょっといい雰囲気になった。
いすみ鉄道の列車は乗客を満載してほどなく発車してゆき、ホームに再び静寂が訪れた。

一方の小湊鉄道の列車はまだしばらく来ないようだ。駅に掲載された時刻表を見ると、半分以上の列車が隣の養老渓谷止まりになっていて、上総中野までやってくる列車が殆どない。横断可能な経路であるにもかかわらずそうしなのは、小湊鉄道の陣地である養老渓谷に乗客を留めるための方策だろうか。

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それならと言うことで養老渓谷駅へ移動することにした。
鉄道だと1駅の区間だが、道路は大幅に遠回りの経路となっているため、車で15分ほど走らなければならなかった。

コンビニで買ったおにぎりを駅で胃袋に収めていたら、ほどなく列車がやってくる時間となった。

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小湊鉄道のキハ200形。こちらもGWスペシャル。堂々の4両編成でやってきた。
全体的に国鉄のキハ20形に準じた設計であるが、アンチクライマーと左右に分かれた前照灯が京成グループの路線であることを主張している。

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反対側も撮影しようと思ったのだが、4両もの車両を停めるだけの長さがなく、ホームからはみ出して停車したので、改札外に出て沿道から撮影してみた。

さて、程よい時間になってきた。そろそろ木更津に戻ることを考えなければならない時間だ。
だが駄目押しでもう1か所訪ねてみることにした。

最後の目的地は五井駅。ここは小湊鉄道の始発駅であると同時に小湊鉄道の車庫も置かれている。ここに超貴重な車両が留置されているという情報を入手している。

機関区の入口から詰め所に向かう。中にいた係員に声をかけたところ見学の了承が得られたので、早速車庫の中へ。

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これである。見たかったのは。
小湊鉄道のキハ5800という車両である。既に車籍はないので線路上を走らせることはできないが、それでも解体されずに長らくこの場に保管されている。
ウィキペディアによると、この車両は元々鉄道院が製造したデハニ6465という車両で、大正3年製と言うことである。つまり撮影時点(2007年)で御年93歳と言うご長寿車両だ。

もちろん車体などは後年になって乗せ換えられているので当時のままではないが、台車など製造当時からずっと使われている部品もあるそうだ。

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そのほか敷地内には明治時代に製造され輸入された蒸気機関車が2両展示されていた。こちらも当然貴重な車両ではあるのだが、蒸気機関車は疎くて、詳細な説明が出来ないので写真のみで。

これにて房総半島の撮影ドライブは終了。木更津に戻ってカミさんをピックアップして帰宅と相成った。

(おわり)

Posted by gen_charly