東武熊谷線(2007/05/27)
荒川区の新居に引っ越して以来、散歩がてら鉄道写真を撮影しにいくことが増えてきた。
この辺りは埼玉に暮らしていた自分にとって縁遠いエリアで、多種多様な路線があるにもかかわらずあまりフォローできていなかったから、というのもあるのだが、昨年700万画素クラスのコンパクトデジカメ、カシオEX-Z750を手に入れ、高精細な写真の撮影が出来るようになったから、という理由もある。
そうして近隣での撮影するようになると、ネットで情報を仕入れる機会が増える。そうした情報を見ていると遠方のローカル線に関する情報を目にすることも増える。そうした場所へ出向いて撮影したくなるまでに、大した時間はかからなかった。なにせ、今は車が運転出来るようになったので、不便なエリアでも効率よく回ることができるようになったし、なによりネットで詳細な情報が入手できるようになったので、お目当ての車両を撮影するためのアプローチ精度が格段に向上したからだ。
当時はまだ子供がいなかったので、休日はお互い自由に過ごしていた。カミさんも繁華街へウィンドウショッピングをしに出掛けたりしていて、自分の時間を貰うことについてとやかく言われることもなかったので、この時期は割と自由にあちこち出掛けてきた。
で、今回見に行ったのは東武熊谷線の保存車両である。
東武熊谷線は昭和58年に廃止された路線で、既に存在しない路線だが、他の東武鉄道の路線とはかなり毛色が違う路線であったため、自分がその路線の存在を知って以来、ずっと気になっていた路線だった。
この路線は熊谷駅から妻沼(めぬま)駅までの約10kmを結んでいたのだが、東武鉄道において廃止当時唯一の非電化路線で、非常にローカルムード漂う路線だったという。途中他の鉄道路線とは接続しない盲腸線だが、もともとは埼玉と群馬の県境を流れる利根川の対岸、群馬県側にある東武小泉線と接続する計画で建設されたものだそうだ。
だが、その利根川を渡る橋が建設できなかったため、今日まで生きながらえることが出来なかった。
自分にとって東武と言えばどこへ行っても東武顔の通勤電車が走っている、あまり面白みのない鉄道会社、というイメージだったので、この路線の存在を知った時には、あの東武が非電化のローカル線を抱えていた、ということに凄く意外な感じがした。しかもその路線は自分が当時暮らしていた坂戸から大して離れていない熊谷にあったというのだから、営業している当時に一度くらい見に行ってみたかったな、という思いがくすぶり続けていた。
その車両の様子は思い出の世界の話であり、カラーブックスなどに掲載された写真から想像を膨らますより他なかったのだが、そこはインターネットの時代である。保存車両の情報を集めて公開しているサイトを見つけたことで、この熊谷線の車両が実はまだ1両残っていて、保存されていることを知るに至った。
それを知ったら早い所見に行きたくて仕方なくなった。という訳で、週末にちょっと見てきたという次第。
2007/05/27
その熊谷線のディーゼルカーが保存展示されている場所は、沿線の妻沼町立展示館(現:熊谷市立妻沼展示館)だそうだ。
昼を回ってから家を出発しのんびりと進んでいったら、到着した時には17時近い時間になってしまった。とはいえ、ここで撮影する車両は1両だけなので、特に遅すぎる時間という訳でもない。
余談だが、熊谷の読みは「くまがや」である。近年、日本一暑い町として近隣の自治体と共にメディアに登場する機会も増えたので、割とこの地名を知っている人も多いと思う。一方、人の苗字でも使われているが、こちらの読みはもっぱら「くまがい」である。なぜ地名だけ読みが異なるのだろうか。
建物の裏に回ると、懐かしいセイジクリームの車体が見えてきた。
こちらが東武熊谷線キハ2000形である。どこかで見たことあるな、と思った人スルドイ。
少し前に訪ねた鹿島鉄道のキハ430形とほぼ共通のデザインになっている。
もう、実物をこの目で見ることは叶わないと思っていた車両が目の前にある。(車両が)生きててよかった、と思った。
しかもサービスの良いことに車内も公開されていて、中を見学することも出来るのだ。
こちらがその車内。座席はセミクロスシートになっていて、ロングシートとクロスシートが混在するレイアウトだ。
ゴールドのモケットは当時の東武鉄道車両の標準に倣ったものである。
クロスシート部分は4人掛けとなっている。とはいえ現在の日本人の体格を基準に見たら相当窮屈な感じだ。製造当時の日本人の体格はこれで充分だったのだろうか。
もっとも当時は現在と比べたらプライベートゾーンという概念があまりなかったようなので、赤の他人が肩を寄せ合うように座ることにさしたる違和感がなかったのかもしれない。
もっとも、熊谷線は開業当初からずっと閑散とした路線であった。前述のとおり本来はもっと先に線路が延びる予定だった訳で、いわば暫定開業状態である。閑散とすることも織り込み済みだったのかもしれない。つまり、ここに4人きっちり座ることそのものを想定していなかった、という可能性もあるかもしれない。
運転席は仕切りで隔てられただけの半室構造になっている。かつて、東武鉄道の乗務員の態度が悪い、というのは地元では有名な話だった。自分も運転室の背面窓のスクリーンを降ろして中が見えないようにしておいて、中で週刊誌を読んでいる車掌の姿を目撃したことがある。
だが、流石にこの車両ではそんな態度で勤務することは不可能だ。隠しようがない。それでもやっていたら単なるサボタージュである。
運転席に面する残りの区画は客室となっており、最前部まで座席が設けられている。ここは前面展望をほしいままにできる特等席だ。
窓に貼られた優先席を示すマークが懐かしい。
もちろん座って展望を堪能させてもらった。どこへも行かないが。
さて、今度は車外をよく見てみよう。当時の東武は一般車両をこの色に塗っていた。セイジクリームという名前だが、肌色、というかカステラ色である。他社でこの色を採用しているのを見たことがない。
扉は片開式の2扉で間に並ぶ客席窓はいわゆるバス窓タイプになっている。
台車はなんかとても華奢な印象だ。
というわけで、熊谷線キハ2000形、堪能しました。また見たくなったら何度でも訪問できるというのが嬉しい。遠いけど。しいて言えば、屋根の柱が車体のすぐ脇に立っている関係で、車両の全体像が見づらいのが惜しいところだが、こうして大切に保存展示してくれているのだから非常にありがたいことである。
さて、キハ2000形との対面を果たしたところで、また日没まで幾分の時間が残っていたので、熊谷駅に留置されている秩父鉄道の写真も撮影してから帰ることにした。
元西武101系の6000系。急行列車として使用するため、車内はクロスシートに交換されている。
しかし、かつての自社オリジナルだった300形が引退した後は他社の中古車で賄われているが、3000系、6000系と頻繁に車両が変わっている。3000系については、丁度自分が鉄道趣味を封印していた時期と重なってしまい、撮影することが出来なかった。
元国鉄101系の1000系。当時唯一現存する101系であったが、秩父鉄道においてはほぼこの車両しかやってこなかったので、個人的にはあまり好きな車両ではない。とは言っても、いつの間にか全て廃車され、今では形式消滅してしまっている。
そして、元都営6000形の5000系電車。三田線で走っていた車両である。三田線で運用されていた当時に撮影することが叶わなかったので、初撮影となった。
というわけで、秩父鉄道の近況報告も兼ねたところで、これでお開き。
(おわり)