ほぼ日本一周ツアー【3】(2000/09/20)
重井港のレンタサイクルの貸し出し場所は異様に趣のある建物だった。農家の納屋というか、あばら家のようなというか、そんな佇まいで建っていた。
傍らの詰所にいた係員の老人が自分が来たことに気づいて中から出てきた。
その係員に自転車を借りたい旨を伝えると、ここの中にある自転車だったらどれでもいいよ、という。そう言われて中を覗いてみると停まっているのはメーカーも色もサイズも ...
ほぼ日本一周ツアー【2】(2000/09/19~09/20)
2000/09/19
今回の放浪旅はここからが本番。前述のとおり今日は広島の辺りを目指すことにしている。
鉄道に乗って遠くを旅をするのは久しぶりである。関東では味わえないような雰囲気を味わうことが出来たら最高である。
鉄道で旅をするので、今回撮り鉄趣味を解禁することにした。まぁ、既に昨日札幌で路面電車の写真を撮りに行ったりしているが。
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ほぼ日本一周ツアー【1】(2000/09/15~09/18)
一昨年、昨年と、このところ毎年のように札幌のS君と会っている。毎年会っているのにお互い話が尽きないので、いつも最後は物足りなさを感じつつの解散となる。
そんなS君は作曲も手掛けていて、先日自主製作のミニアルバムを送ってくれた。アルバムの中に収められている曲は、TーSQUAREのようなポップなフュージョンの雰囲気を持ちつつ、ゲームミュージックの世界の流行も取り入れたようなドラマティ ...
川越線の低窓車 (1990/01/20)
1990/01/20
前日は関東地方では珍しくドカ雪が降った。だが翌日にはあらかた溶けてしまった。
この日は土曜日で、当時はまだ半日学校に行かなければならなかった。学校から帰ってきて雪が解けているのをいいことにI田と的場に出かけることにした。I田は国鉄車両のNゲージに特に興味を持っていて、的場にNゲージを売っている模型店(名前は忘れた)があったので、市場調査に行こう、とい ...
パノラマエクスプレスアルプスに乗ってきた話【2】 (1990/01/05)
駅に戻ると、彼はお土産の物色が終わって待ち合わせ場所に佇んでいた。合流前にとりあえず記念入場券だけ購入。
それから中央線で小淵沢まで行き、小海線に乗り換え。
ぐんぐんと標高をあげていくキハ52に感動しながらローカル線の旅を堪能する。
途中、八ヶ岳が綺麗に見える場所があった。この写真はこの記事でも掲載させてもらった。
小海線は単線のローカル線なの ...
パノラマエクスプレスアルプスに乗ってきた話【1】 (1990/01/05)
1990/01/05
JRには165系電車を改造した、パノラマエクスプレスアルプスという長い名前のジョイフルトレインがあった。
その車両は小田急ロマンスカーや名鉄パノラマカーと同じような構造になっていて、運転席を屋根上に移動して、最前面を展望室とした列車だった。
前面展望が一番のウリだったが、列車内には個室やラウンジも設けられて、ゆったりと寛ぎながら鉄道の旅を ...
185系普通列車で箱根へ (1989/05/04)
1989/05/04
中学生になり学校で新たな友達となったK君。彼もまた鉄道が好きだったので、意気投合してつるむようになった。
今回は箱根へ行ってきたのだが、そのきっかけは特急踊り子号用の185系で運転されるという普通列車に乗りたいと思ったことだった。
各駅停車ではあるが、普段、別料金を払わないと乗れない電車に特急料金を払わずに乗れる、というのは、何ともお得感 ...
京葉線 (1989/04/02)
1989/04/02
どうにも地味な印象がぬぐえない我らが東武東上線であるが、1987年に大きなイベントがあった。地下鉄有楽町線が和光市まで延伸されて、東武東上線と直通運転を開始したのだ。これにより都心部まで乗り換えなしで行けるようになったのだが、当初直通する列車は各駅停車だけだったので、座れるけど時間のかかってしょうがない列車なうえ、殆どが川越市どまりだったので、川越市以遠の利 ...
三鷹電車区に見学に行った話 (1988/12/26)
1988/12/26
当時、父の会社の例の同僚の姉が三鷹に住んでいて、極々たまに遊びに行っていた。
それから数年後に自分が鉄の道を歩み始め、その折に三鷹に電車区(車庫)があることを知った。
で、それから暫く経った冬のある日、みんなで集まってクリスマスパーティをしようよ、という話になって3家族がその三鷹の家に集まった。
不思議な縁とでもいうのか、その3家 ...
’88埼玉県民の日 (1988/11/14)
1988/11/14
11月14日は埼玉県民の日である。
この日は県内の小中学校は全て休校日であり、しかも県内を走る大手鉄道各社が子供200円未満の料金で県内乗り降り自由のフリー切符を発売していたので、電車が空いている平日に安価に遠出ができるまたとないチャンス。
ということでフリー切符を入手して撮り鉄の旅に出ることにした。
ただ、惜しいのは各社 ...
箱根の鉄路巡り (1988/08/14~08/15)
1988/08/14
お盆休みに父と例の同僚(とその娘)とで箱根の温泉宿に泊まりに行くことになり、2家族4人で父の車に乗って箱根へと向かった。
宿は強羅駅の近くにある紀伊国屋旅館、という所だった。芦之湯にきのくにやという旅館があるがそこではない。どうも既に廃業されているようだ。
行きは宿に直行、宿の詳細は既に記憶に残っていないが、宿から歩いて1分くらいのところ ...
川越の車庫を見に行った話 (1988/08頃)
1988/08/xx(多分)
JR埼京線・川越線の車両が留置されている川越電車区という車庫が南古谷駅の近くにある。ここもまた事前の電話連絡で見学対応してくれる車庫だったので、これまで2,3度見学させてもらっている。
この時何回目の訪問だったかは忘れたが、夏休みの自由研究で鉄道車両の仕組みみたいなものを発表しようと思いたち、その取材のために訪問したのだった。
撮り鉄でやっちまった話【2】(1988/07/29~07/30)
大船駅から乗るのはもちろん湘南モノレール。
湘南モノレールは懸垂式のモノレールである。その名の通りガイドレールの下に車両をぶら下げて走る方式のモノレールで、その乗り心地がどんなものか興味があって、湘南江の島駅まで乗り通して往復した。乗り慣れないタイプの揺れだったせいか、大船駅に戻る途中で軽く酔った。
そのせいかは覚えていないが、途中駅でいったん下車したようだ。看板に片瀬山 ...
撮り鉄でやっちまった話【1】(1988/07/29)
1988/07/29
夏休みになって、撮影の旅に行きたい欲がMAXに達していた。
とにかく撮りたかったのは鶴見線のクモハ12という電車である。鶴見線は神奈川県にあるので、気軽に行ける場所じゃなかったが、夏休みに入って時間はあるので、他の神奈川県方面の車両の撮影も兼ねて行ってみることにした。
ざっくりとコースを検討して出発したのだが。。。
目的地が神奈川 ...
さいたま博覧会 (1988/05/22)
1988/05/22
この年、埼玉県はさいたま博覧会の開催に全県が沸いていた。85年のつくば万博辺りから毎年のようにどこかで地方博が開催されていて、88年についに埼玉での開催となったのだった。
目玉はなんといってもリニアモーターカー。そりゃ乗りたいでしょ、ってことでチケットを手に入れてさいたま博に行ってきた時の話である。
瀬戸大橋を渡って四国初上陸 (1988/05/03~05/04)
1988/05/03
3月に大阪に連れて行ってもらって以来、自分の鉄道熱は最高潮に達していた。この旅行以降3年くらいの間はひたすら暇があれば鉄道写真を撮りに歩いているような状態だった。
もっとも、全部が全部掲載するとキリがないので、当サイトで紹介するものは印象深かったものに限定している。
で、あれからまだ2カ月しか経っていないのに、父から再び大阪への同行のお誘 ...
JR1周年スタンプラリー (1988/03/29)
1988/03/29
当時通っていた小学校に鉄道とライオンズをこよなく愛する、口の悪いOという先生がいた。口は悪いのだが授業そっちのけで面白い無駄話をするので、子供達には人気の先生だった。
O先生はしょっちゅう鉄道の話をするので、感化されて鉄道ファンになる子が増えてきた。
そのころ、国鉄が民営化されて1周年を迎えた。それを記念したスタンプラリーが都内で開催され ...
大阪の地下鉄巡り (1988/03/20)
1988/03/20
当時、父の会社は大阪に支店を出していた。その関係で父は月に一度くらい大阪へ行っていた。
また大阪の鉄道写真を撮りにいきたいと、父に再三伝えていたのが実を結んだのか、春休みに一緒に行かないか、と誘われた。
大阪は、鉄道ファンの世界に足を踏み入れたばかりだった1年前に、一度連れて行ってもらっている。その時は父に同行してもらって市内の地下鉄めぐりを ...
北海道初上陸【10】(1999/09/02~09/04)
食事が済んだら、再び小樽駅に戻り、札幌行きの電車に乗る。
そして札幌駅。ここで何枚か列車の撮影をしたあと、市内観光という流れだった。
確か先に土産物を買いに駅前のデパートを散策した気がする。
その後日本三大がっかり名所のトップという不名誉な名所として名高い札幌時計台を訪ねた。
時計台は古い木造建築で、何となく広い原っぱの真ん中みたい ...
北海道初上陸【9】(1999/09/02)
1999/09/02
ホテルからの眺めをビデオに撮っていた。
この時に宿泊したホテルがどこだったのかずっと忘れていたのだが、ビデオで撮影していた風景から、東横インに泊まっていたことがはっきりした。やっぱり何かしら記録は残しておくものだな、と痛感する。
このエントリは旅行から10数年を経て書いている。当時はこうした旅行記をWEBで公開することを全く考え ...