伊豆大島上陸【17】(2014/03/09)

20140309_101421

その建物は、「富士箱根伊豆国立公園 展望避難休憩舎」というなんだか全部入りみたいな名前が付いていた。何かパンフレットでも置いていないかと思い中に入ってみると、三原山の大きな展示パネルのある部屋があり、その中で係員らしきおばちゃんがプロジェクターのセッティングをしている最中だった。

挨拶をして、見ていいですか?と聞くと、どうぞ、とのことなので、少し見学させてもらうことに。

「三原山に登ってきましたか?」

と聞かれ、お鉢めぐりをしてきたこと話すと、


「そうですか、それはいい経験が出来ましたね。いつも風が強い山なので、山に登れない時もあるんですよ。」

という。やはり風が穏やかなのは運が良かったようだ。
それからウチらの身なりを見て、

「あなたたちは、ちゃんとした格好をして登られているから大丈夫だけど、たまに水も何も持たずに軽装で登る人も結構いて、それなりのコースだからやっぱり水分は最低必要になるから、そういう人を見かけたらこれ以上進まないように声をかけているんですよ。」

観光の流れでここまできて、勢いでフラフラと登り始めちゃうような人も結構いるのだろう。
富士山ですらTシャツ、ジーンズ、サンダルで登ろうとする勘違いもいるくらいだから、ここでやらかす奴はその比ではないかもしれない。

このおばちゃん、以前は島の幼稚園の校長をしていたらしいのだが、今は暇になったので、ここで働きながら日々山を登る人たちを見守っているとのこと。

「昔はねぇ、自殺の名所なんて呼ばれていて、火口の中に骨が落ちていたりしたからか、山に登る人も少なかったんだけど、今はわざわざお金かけて船に乗って自殺しに来る人なんかいないから、すっかりそういうイメージがなくなりました。」

三原山の火口が自殺の名所、と言う話は昔何かで聞いたことがある。改めて調べてみたら、昭和の初めごろ実践女学校の生徒が火口に飛び降りて自殺、その翌月にもまた同じ学校の生徒が身を投げて自殺してしまうというショッキングな事件があったらしい。
それだけでも衝撃的な事件だが、のちにそれだけにとどまらないミステリアスな展開があり、当時かなりセンセーショナルな話題になったという。

特異なニュースが報道されると、後追い自殺をする人が続出することがちょくちょくあるが、この事件の時も同様で、その年だけで実に130人近い人がこの火口に身を投じてしまった。
ここでは詳述しないが、上記のリンク先などにいろいろあるのでよろしければ。

このような一連の事件によって三原山は自殺の名所と言う不名誉な称号を頂くことになってしまう。
遺体を回収しようにも場所が場所だけに近寄ることもままならず、暫くはそのまま野ざらしで放置されていたというから普通の人は行ってみようという気にはならなかっただろう。
今でいえば青木ヶ原樹海が観光名所になるような話だろうか。

その後遺体を回収したという話は出てこないようだが、それから二度も噴火しているので、もはやそれらの骨は全て焼き尽くされてたのだろう。もちろんグーグルアースで航空写真を眺めてもそのようなものは見つからない(はず)。

20140309_103900

そして、話は86年噴火の時の体験談になり。。。

  • 三原山はいつも山頂から噴火する山で、噴火しても集落には被害が出ないといわれていたので、86年の時も最初は珍しいものが見れてラッキーという雰囲気だった。
  • なので観光客を呼んで観光の目玉にしようと、島全体が盛り上がった。
  • ところが、山の中腹から噴火が始まってしまい、急きょ全島民が避難しなければならなくなった。
  • 前日がお給料日で、働いている先生たちにお給料を渡したが、一人だけ体調不良で休みの先生がいて、急に全島避難となってしまったので、お金を持たずに避難するのでは大変だからと、港へ移動する車の列を逆走し、交通整理をする警察官に事情を話してどうにかその先生に給料を届けに行った。
  • 島民が乗った船は当初伊豆の下田に着いて、下田の体育館に収容されたが、しばらくして都内での受入れ準備が整い、移動することになった。
  • 何カ所かの施設に分散して避難することになったが、おばちゃんの避難先は文京区の施設、まだ出来たばかりの所だったので、割と快適に過ごすことが出来た。
  • そこでは食事もバイキング形式で提供されて、好きなものが食べられた。
  • ところが、島民でバイキング形式の食事を知らない人が多く、盛り方の加減が分からずにみんな山盛りにしていた。

などなど、どれも貴重な体験談だ。

86年噴火の時、自分は小学4年生だった。
当時、テレビの報道番組は三原山噴火一色で、世紀の大スペクタクルと言わんがばかりに盛り上がっていたことを覚えている。溶岩が御神火茶屋を飲み込んでしまったシーンや、迫る溶岩流があと何百mで集落に到達するかと、速報が入るたびにアナウンサーが興奮した口調で報告していたシーンなどが思い出される。

カミさんはまだ幼かったせいか、覚えていないそうだ。

Posted by gen_charly