鳥取ドライブ【18】(2022/08/16)

チビのスカートをまくり上げるような風が吹き抜けることからも分かる通り、ここは浜風、山風の通り道になっている。更に冬場は日本海から季節風が吹きこみ、時として突風に晒されることもある。

昭和61年の冬、折からの低気圧によって周辺に強風が吹き荒れていた。
そのさなか、回送の客車列車(お座敷列車「みやび」)がこの鉄橋を通過しようとしたところ、折からの突風にあおられ、先頭の機関車を除くすべての客車が橋から転落。橋の真下にあった水産加工場の上に落下して、列車の乗員と工場の従業員の6名が犠牲になるという痛ましい事故が発生した。

事故当時、頻繁に突風が吹くような気象であったにもかかわらず、橋に設けられた風速計が不調で、正しい風速が計測できなかったうえ、強風を警告するアラートが鳴動した際にも、今から列車を停めに行っても間に合わない、といった理由で列車を突風吹く鉄橋に侵入させてしまった、というある意味人為的なミスによるものであった。

水産加工場の従業員からしたら、まさに青天の霹靂。いきなり空から列車が降ってきて、押しつぶされて死ぬなんて夢にも思わなかっただろう。想像しただけでゾッとする。

この事故が発生した時、自分は小学生だった。まだ鉄道趣味に目覚める前ではあったが、冬休みで自宅にいたこともあって、この事故のことはとても印象に残っている。
故に鉄橋があるうちに行ってみたいという思いもあったのだが、なかなか訪れる機会のないまま、結局30数年が経ってしまった。

列車転落事故のあと、風に対する規制が強化されたことにより、冬場の運休・遅延が相次ぐようになり、沿線住民に不便を強いることとなった。
鉄橋に風防を設置するなどの風対策を行うことも検討されたが、当時、定められた耐用年数をとうに経過した老朽橋であり、長期的な安全確保の面で効果が得られないという結論に達し、橋の架け替えを行うこととなった。

聞くとはなしに、ネット上の情報などでそのことは耳にしており、当時は現役のうちに見に行くことが出来なさそうだと分かってがっかりすると同時に、架け替えによってより安全なものに生まれ変わるのなら仕方ない、と思ったものである。

 

20220816_144313

プロムナードを駅の方に向けて歩いて行くと、餘部駅だ。餘部駅への通路は現在線と旧線の間に存在するが、バラスト敷きの旧線跡をガシャガシャと歩いても行くことが出来る。

20220816_144721

山際に小さなホーム。昔はここに駅はなく、利用者は鉄橋を徒歩で渡って、山の向こうのトンネルを抜けた先にある鎧駅まで行って乗っていたそうだ。

ホームの時刻表を見ると列車は1時間に1本程度。今から10分後くらいに列車がやってくるようなので、列車を見送るまでここで休憩しよう。

20220816_145838

そして10分後、鎧駅方向から列車がやってきた。通称タラコ色のキハ40形だ。

20220816_145913

引きがなかったので広角で撮影。
ちょっと長居しすぎた。ぼちぼち下に降りよう。

自分は件の列車転落事故にちなんで建立された慰霊碑を見に行くというと、2人は道の駅を見学してくるというので、再び別行動。

20220816_150725

慰霊碑は丁度列車が転落した辺りに建てられていた。
それから車に戻って一息入れていたらとうとう雨が落ちてきた。なかなかのにわか雨だ。

程なく、カミさんとチビがほうほうの体で車に戻ってきた。

20220816_150823

道の駅の隣には余部鉄橋の資料館があったそうで、そこにかつての鉄橋のジオラマが置かれていたそうだ。

トラス橋のように列車をガードするようなものがない、吹きっさらしの場所を列車が通過するのだ。設計上問題ない、と言えばそうなのかもしれないが、転落したらどうしようということは考えなかったのだろうか。

安全の面では脆弱な橋ではあったが、だからこそ日本海を背にスリリングな一本橋を渡るかのような列車の姿、という他では得難いフォトジェニックな風景が得られたわけで、鉄道ファンのみならず、このエリアへと観光に来た観光客までもが一目見ようと全国から立ち寄る観光スポットになったのだから、何が奏功するか分からない。転落事故が無ければ歴史遺産として今でも現役だったのかもしれない。
それだけに事故当日の判断の誤りが悔やまれる。

Posted by gen_charly