撮り鉄でやっちまった話【2】(1988/07/29~07/30)

大船駅から乗るのはもちろん湘南モノレール。
湘南モノレールは懸垂式のモノレールである。その名の通りガイドレールの下に車両をぶら下げて走る方式のモノレールで、その乗り心地がどんなものか興味があって、湘南江の島駅まで乗り通して往復した。乗り慣れないタイプの揺れだったせいか、大船駅に戻る途中で軽く酔った。

19880729_410120

そのせいかは覚えていないが、途中駅でいったん下車したようだ。看板に片瀬山歯科と書かれているので、片瀬山駅だろうか。もはや記憶にない。
当時一番古い車両だった300形の撮影をしたが、ここでもピンボケ再発。。。
まぁ、カメラの不具合というよりは、シャッタースピードの設定が変わってしまったせいのような気もするが。

19880729_410124

そして大船駅から横浜駅へ戻る。横浜駅では相模鉄道の車両を撮影。

19880729_410131

それから京浜急行の横浜駅に移動して、そこから品川駅へと向かう。ぼちぼち帰らねば。だが、まだ撮りたい車両は沢山ある。

それはそうと、写真に写っているのは700形という車両だが、運転席の窓に何か映り込んでいる。映り込むような元ネタが回りにないのに、映り込んでいたので、最初心霊写真の類かと思ったが、フィットネスかサウナから上がったあとのような、首にタオルをかけた好青年の心霊写真なんてあるわけがないw

で、品川駅に着いた。
JRの品川駅へ移動し、駅構内をウロついていたら、こんな列車が停まっていた。

19880729_410136

アメリカントレインである。
当時、TVCMで盛んに宣伝していたので、列車の存在は知っていた。だけどCMでもどういう列車なのかの説明はしていなかった(気がする)ので、どこへ行く列車なのかとかは分からずにいた。

結局何者か分からないまま、停まっているのだから、と撮影したが、そもそも機関車とか客車にはあまり興味がなかったので、一応形だけ、というつもりだった。もっとも、今にしてみればまぁまぁ貴重な写真となったわけだが。

19880729_410200

で、今度は目黒駅へ行って目蒲線を撮影しーの、

19880729_410201

渋谷駅で東横線を撮影しーの。
当時、自分は改札にいる駅員と無駄話をするという特技?を持っていた。切符収集のために駅員と仲良くなって、使用済みの物を分けてもらおういう魂胆だ。切符分けてもらえませんか?というトークから始まる無駄話。

渋谷駅の駅員は切符は分けてくれなかったが、話し相手にはなってくれた。帰宅時間帯で、乗降客が改札に押し寄せる時間は流石に脇に避けていたが、ひと段落したらまた話しかけて。。。さぞ迷惑だったことだろう。

でも、あんまり長居するので、流石に煩わしかったのか、そろそろ帰った方がいいんじゃないの?と促された。
確かに小学生が間もなく22時になろうかという時間に渋谷駅の改札で駅員と無駄話をしているなんて尋常ではない。

ところが、その辺の空気感を当時の自分は察することが出来なかった。電車はあるので大丈夫です、と根拠のない自信を見せて更に会話を続けた。

だが、次に帰宅を促された時は駅員も煩わし気な態度を隠さなかったので、そこで会話は終了。
駅員から帰宅を促されてはいたが、そのことに思いをいたすことはなかった。家へ帰るための電車はまだ走っていると思っていたので、もう少し撮影の旅の続きを、ということで、更に途中下車を続けた。

19880729_410206

続いて向かったのは新宿駅。京王線に乗って下高井戸駅を目指す。

19880729_410205

下高井戸駅で写したのは、世田谷線。
この路面電車の写真もぜひとも撮影しておきたかったのだ。

だが、時間は23時を回っている。流石にぼちぼち終電の時間も近づいているだろう、ということで、撮影はここで終了。あとは帰宅するだけ・・・の筈だった。

 


1988/07/30

19880729_410207

池袋駅に着いた時には既に0時を回っていた。0時を過ぎても東上線の森林公園行きはまだあると思っていたのだが、駅の時刻表を見ると、ない。。。一番遠くまで行く列車は志木どまりだった。

ことここに及んで、青ざめた。遅すぎる、あまりにも気づくのが遅すぎる。田舎に向かう電車を何だと思っていたのだろうか。
どうあがいてもその列車に乗るしか選択肢がないので、とりあえず志木駅行きに乗り、終点志木駅で降ろされる。
駅の電気が消える。さあどうする。

 

とりあえず、どうにか助けてもらえないかと、駅前の交番に駆け込んだ。
電車に乗り遅れて、終電になってしまったことを伝えると、誰何を確認された。

そして家に連絡が入る。当時は祖母の家に住んでいたので、祖母が電話に出る。夜12時を回って警察から電話がかかってきたのだから相当肝を冷やしたのではないかと思う。当時はプチ反抗期だったので、そのことについて悪びれたりはしなかったが、今思えば親不孝な子供だったな、と思う。

で、交番のお巡りさんが迎えに来て貰えないか、と電話口で話す。何と答えているかは聞こえないが、ろくに歩けない祖母が迎えに来れる訳がない。多分そう答えたのだろう。
そこで今度は、タクシーに乗せたいので、到着したらお金を払ってほしいと言っている。

が、志木から坂戸までタクシーに乗ったら1万じゃきかない。年金暮らしの祖母にそんな大金が出せる訳がない。やはりそのように答えたのだと思うが、最終的にどうにか朝まで面倒を見てくれないか、と頼み込んだようだ。

 

もちろん父親に連絡すれば、迎えにも来てくれるだろうし、タクシーで向かうといえばお金を払ってもらうこともできた気がする。だが、父親にこの顛末がバレたら、どんな鉄拳制裁を食らうか分からないので、小賢しくも父親の存在は口にしなかった。

電話の会話が終わり、祖母からの懇願に他の手段はないという結論になって、自分は翌朝まで保護して貰えることになった。
交番で匿うわけにはいかない(多分、パトロールで無人になる時間があるからだろうか)と言って、警察署に移動することになった。
もちろん移動はパトカーである。

にもかかわらず、とりあえず当座、外に放り出されるわけじゃないことが分かって安堵した自分はテンションが高かった。パトカーの中で、どこの鉄道の写真を撮ってきたなどと無邪気に話していたら、流石にお巡りさんにたしなめられた。当たり前である。
本人は善良な一市民でしかないつもりだが、お巡りさんには不良少年だと思われていたかもしれない。

 

で、警察署に到着し、ロビーの片隅のベンチを指さされ、ここで朝まで過ごしなさい、と言われた。
てっきり、それなりの部屋でそれなりの布団などを用意してもらえるものだとばかり思っていたが、まさか人通りのあるロビーのベンチで寝かされることになるとは。。。とその時は思ったが、留置場に入れられなかっただけマシだと理解するべきだろう。

流石に丸一日あちこちほっつき歩きまわっていたので、疲労もたまって、そんなベンチでも朝までぐっすりだった。

 

朝、目が覚めて、一瞬ここはどこなのだろうか?と思った。その直後昨日のことを思い出して即座に状況を理解した。一日たって冷静さを取り戻して、流石にしゅんとなった。

借りた毛布をきれいに畳んで、近くにいた署員に謝って、警察署を後にした。

後にも先にも警察署で夜を明かしたのはこの時だけだった。

19880730_410209

で、早朝の志木駅のホームに立ち、やってきた電車を撮影。全然懲りてない。。。

Posted by gen_charly