おじいちゃんのお葬式 - 6(2011/07/11)

— 寺の周りを回る —

本日はおじいちゃんの告別式です。
岩手の葬儀に参加するのは初めての体験です。
(おばあちゃんの時は、時間の関係で火葬が終わったところで帰ってきたので)

午前11時に集合するよう言われていたので、寺までの移動時間を含めて10時に出発するつもりでいました。
ところが9時50分過ぎにおばさんから電話があり、準備手伝って欲しいから早めに来てほしい、というかなり無理筋な指令が下りました。。。

もう少し早く連絡してくれれば少しは時間を詰めて早めに出ることもできたのですが、今となってはどんなに急いで出発しても大して早くなりません。

それでも気持ち早めに出発し、結局5分前に寺に到着。
やっぱりあまり早くならなかった。。。

車を降りると今日も強烈な日差しに焼かれるようで喪服を着ているのが本当に辛い。。。
何が悲しくて熱を集める色の服を着なくてはならないんだろう。。。と思ったら、ズボンこそ喪服ですが、上着は半袖のワイシャツ一枚という親族が結構いました。。

そのくらいのラフさでもOKだったのか。。。

車を降りて寺の門をくぐると親族があらかた集合していました。
おじさんが、ウチのカミさんを見つけるなり、事前に頼まれてもいないのに、「受付おねがい」といって連れて行かれてしまいました。。。

なにが起こるのか良く分からずに居ると、原付の名前も呼ばれて、お酒の入ったコップと、お水の入った湯飲みを渡されて、 「あそこに並んでいる人の後ろについて並んでください。」といわれました。

良く分からないまま、コップを手に列に並ぶと、今度は弟が呼ばれ、テレビでしか見たことが無かった山盛りのご飯の上にお箸が突き刺さった茶碗を持たされて原付の後ろに並びました。

そういえばおばあちゃんのお葬式の後、お袋が葬式の時はみんなで並んで、お寺の周りをぐるぐると回った」といっていたのを思い出しました。

多分これから始まるのはそれだろうと思って後ろのほうの様子を見ていると、まず男衆が天国に旅立つおじいちゃんに持たせる食事や剣などをそれぞれ持って並び、その後ろに白い頭巾を被った二人の喪主がつきました。
さらにその後ろに白い布(頭巾?)を被った女衆が、一反の長くて白い布を細く撚ったものを綱引きのロープを持つようにみんなで抱えて並んでいました。

そして準備が完了したところで、先頭に居た人が進み始め、その後ろについて歩き始めると、ひとつの列が繋がり輪になって、寺の本堂の前の広場をぐるぐると回り始めました。

何周くらい回るのか全然分からないまま、結構長い間ぐるぐると何周も回り続けていたのですが、誰一人として一言も発せず(そりゃそうか。。。)、何周も回り続けていると、なんだか自分ひとりだけ遠くからその円を見ているような気になってきて、その光景はきっとシュールなんだろうなとか考えていると、なんだかだんだんおかしくなってきて、途中から不謹慎だとは思いつつも思わずニヤけてしまいました。

2、3分回り続けた後、先頭の人が止まるのにあわせて全員の動きが止まり、葬儀屋の係りの人が持ち物を一つ一つ受け取って開放されると、しばらく休憩とのことで、休憩室に通されました。

休憩室に入って、弟に「お袋、”寺の周り”をぐるぐる回る、って言ってたからてっきり敷地の周りを回るのかと思ってたけど、あれは正しくは”寺の前”だね。」と話すと、原付と同じく初めて参加した弟も「言われてみればそうやな。」 と言って笑っていました。

暫くすると、カミさんも受付の人が交代になったと言って戻ってきました。

受付を任されたのはいいけど、段取りの説明が無いまま始まってしまったので参列者が来たら困るなぁ、と思っていた矢先に来てしまって少し参ったとのこと。

このなんとなく泥縄っぽい雰囲気が岩手の親族っぽくて、微笑ましいような、困り物なような。。。

寺の前をぐるぐる回った話をしたら、カミさんも受付の所から、参加してみたいなぁ、と思いながら眺めていたそうです。

この、ぐるぐると回る儀式がもの珍しかったので、後でネットで少し調べてみたところ、岩手の沿岸地方ではよく見られる儀式らしいです。
このお寺は一関の山の中にあるのですが、一関といっても陸前高田からもさほど遠くない旧大東町地区にあるので、もしかしたら伝わってきているのかもしれません。

また、寺の庭を回るところ以外も墓地の周りを回ったり、棺の周りを回ったりするところもあるらしいです。

気になったついで告別式についても調べてみたのですが、告別式の前に火葬を行う地方は岩手以外にも埼玉や長野の内陸のほうにもあるそうです。
そこでは、疫病の発生を考慮してのことだという理由が考察されていましたが、別の記事では、火葬場からお墓までの距離の違いが上げられていました。

いわく、火葬場とお墓が近ければ葬儀に参加した遺族がそのまま納骨に参加できるが、都市部の場合は、葬儀場とお墓が離れていることが多く、当日中の移動が難しい場合があるため、四十九日まで待つようになった、ということです。

言われてみれば埼玉に住んでいた原付の父方のおばあちゃんが亡くなったときも、火葬した後、四十九日までお骨を自宅に置いていました。
火葬場とお墓の距離は大して遠くなかったのですが、まぁ、地域性ということなのかも知れません。

更に暫くするとお坊さんの準備が出来たというので、本堂へ移動。
お坊さんが入場して、お経の最中にご焼香を済ませる辺りは一般的な葬儀と大きな違いがありません。

司会が、親族代表から選ばれていたことと、焼香の前にお坊さんに向かって合掌する所は、初めての経験です。

告別式と、初七日の法要がつつがなく終わり、ご会食の時間になりました。
仕出しの弁当が並べられましたが、これが量が多くて食べ切れないほどの品数で、それでも結局原付は全部食べましたが、少し驚きました。

— みんな仲良く —

会食が終わると、今度は納骨。

車に分乗して数分の所にある墓地まで来ました。
この墓地は一年前の岩手旅行の時に来た事のある場所です。

車を降りて墓地に向かう道の途中で、少し先に到着していた親族が集まってざわついていました。

なんだろうと思って話を聞いていると、今また地震があって揺れていたのだそうです。
結構大きな揺れを感じたそうですが、原付たちは歩いていたせいかまったく気づかず。

「あんたら、気が付かなかったの?あんなに揺れたのに?なーんだか。鈍いねぇ。。。」

などと言われる始末。。。

お墓は軽く山を登った所に設けられているのですが、その道も厳しい炎天下で男性は汗だくになり、女性はヒールで登りにくそうにしていました、

墓石を見ると、3・11の地震の揺れによって上下の石の位置が僅かにずれてしまっていました。

一族お墓の前に集合し、一同見守る中、親族の一人がお骨を納める所(カロートというらしいです)のふたを開けると、衝撃の光景が。。。

カロートの内部に散乱するご先祖様のお骨。。。

おばあちゃんがかけていたと思われるメガネなども形そのままに残っていました。てっきり地震でなかの骨壷が割れて散乱したのかと思ったのですが、周りの人は何事も無かったかのように、おじいちゃんのお骨の納まった骨壷のふたを開け始めました。

近くに居たおじさんに聞くと、こちらでは骨を骨壷のまま納めるという慣わしはないそうで、遺骨は骨壷から出してカロートの内部に直接納めるそうです。

土葬時代の名残でしょうか。

多分一番上にあるのが一昨年亡くなったおばあちゃんのお骨でしょう。
その上に撒く様にしておじいちゃんのお骨を納め、後はお供え物とお線香を上げて合唱して一連の儀式は終了。

お供え物はお持ち帰りください、と看板が出ていて、最近はそういう所が多いよな、などと思っていたら、お供え物を回収したおばさんが参列者に配り始めました。

なるほど、みんなに分けて持ち帰るんだなぁ、とお菓子を受け取ると、その場で食べなさい、とまさかの指令が。

原付が受け取ったお菓子は、雷おこしのような感じの米菓。
持ち帰るつもりだったので、深く考えずに貰ったのですが、いざ炎天下で喉がカラカラの状態で食べるのは拷問にも似たつらさがありました。。。

まぁ、中には落雁のようなものを食べていた人もいたので、心中お察しすると共に、うっかり受け取らなくてよかったと胸をなでおろしました。

というわけでこれで一連の儀式が全て完了しました。

Posted by gen_charly