JR1周年スタンプラリー (1988/03/29)
1988/03/29
当時通っていた小学校に鉄道とライオンズをこよなく愛する、口の悪いOという先生がいた。口は悪いのだが授業そっちのけで面白い無駄話をするので、子供達には人気の先生だった。
O先生はしょっちゅう鉄道の話をするので、感化されて鉄道ファンになる子が増えてきた。
そのころ、国鉄が民営化されて1周年を迎えた。それを記念したスタンプラリーが都内で開催されるという話を知り、行ってみたくなった自分はM君を誘った。そしたらどこで話を聞きつけたか、最近鉄道に目覚めたCとTが参加したいと言ってきた。
じゃあ、みんなで行こうか、と計画を立てていたら、特に鉄道好きでもないWが俺も連れてけ、と言い出した。お前、鉄道好きじゃないだろう?
鉄道メインのお出かけなんだが、飽きないか?と聞くと、大丈夫に決まってるだろう!というので、総勢5名でワイワイと出かけることになった。
当日はあいにくの雨模様。坂戸で集合してまずは川越市へ。川越市から本川越まで歩いて、そこから西武新宿線に乗るためだ。
都内に出るのならそのまま東武東上線に乗っていれば池袋に行けるのに、わざわざ新宿線に乗ろうと思ったのは、単純に西武線に乗りたかったからだ。
西武新宿線は本川越という駅が終点なのだが、東武やJRの川越や川越市からは少し離れたところにあって、接続していないので乗り換えが不便。そのうえ、行きつく先は西武新宿で向こうは向こうでJRの新宿駅から離れていて不便、、、ということで、坂戸に住む我々にとってほとんど利用価値のない路線だった。
なので、撮り鉄や乗り鉄を目的にわざわざ乗りに行こうと思わない限り、まず経路の選択肢に入らない路線だったのだ。
だが件のO先生が、ライオンズのファンということもあるのか、日頃から西武鉄道の事をやたらと褒めちぎっていた。
当時西武ライオンズは非常に強い球団で、リーグ優勝はしょっちゅうだし、日本一にも何度もなっていた。西武はブランド化が巧い会社で、球団の宣伝もうまいし、デパートの宣伝もあか抜けている。そのうえ遊園地も球場も沿線にある。なんなら専用の特急電車も走っている。
なので、普段あまり西武に縁のない自分らにとっての西武鉄道は、O先生に洗脳されるまでもなく、何となくおしゃれな鉄道会社、というイメージがあった。
ちなみに、東武のことは散々にこき下ろしていた。確かに東上線は通勤電車しか走らないし、駅員はいい加減、観光特急も沿線の一大観光地もレジャースポットも球団もない。沿線の鉄道ファンも何となく東上線沿線に住んでいることに劣等感を感じていた。
それだけにO先生のこき下ろしもすんなり首肯できたのだった。
ま、そんなわけで、西武鉄道に羨望の眼差しを向けていた我々は、わざわざ西武新宿線に乗って都内を目指すことにしたのだった。
もっとも、こうして当時の写真を振り返って見ても、それほどあか抜けているようには見えない。それでも憧れの対象になるのだから、やっぱりそれだけブランド化が巧かったのだろう。
そんな憧れの鉄道会社だったが、本川越駅だけはちょっと近寄りがたいイメージがあった。
何故かというと、当時の本川越駅の掲示板に、地元の警察署が「この人を知りませんか?」というタイトルで身元不明者を照会するポスターを掲載していたのだ。そのポスターには、その身元不明遺体の歯の部分のカラー写真が印刷されていて、ピンときたら110番、で締めくくられていた。
不自然な色に変色した死体の歯と歯茎。子供だった自分はそのポスターを目にするのが嫌で嫌で仕方なかった。
これまでのエントリでは、当時を牧歌的でのどかな時代として捉えているような書き方をしているが、その反面デリカシーはあまりなかった。
なので、手放しでいい時代だったな、と懐かしむことが出来ないという側面もあったりするのだ。
それはさておき、所沢で乗り換えて、池袋へ向かう。
スタンプラリーで台紙に押すスタンプは、駅の改札外にあった。
なので、池袋でスタンプラリー用のフリー切符と台紙を入手。
埼京線は1周年のヘッドマークを掲げている。103系が懐かしい。
山手線は205系の独壇場だった。
途中、こんな具合に自分とM君は鉄道の写真を撮るために、ちょこちょこ隊列を離れていた。その都度、ライト級のC、T、Wは待ちぼうけとなるので、だんだん機嫌が悪くなってきた。
だから言ったのに。。。
で、品川駅で写真を撮って戻ってきたら皆がいなくなっていた。何ならM君もいない。やべぇ、はぐれた。。。
当時はお互いの連絡手段がないので、このまま先に進んで良いかの判断が付かない。もしかしたら自分を待ってどこかで待機しているかもしれないと思い、1時間くらい駅構内をうろついてみんなを探したのだが、どうにも見つけられなかったので、多分先に行ってしまったのだろう、と判断せざるを得ず、以降単独で行動するハメになった。
そのことは自分にとって少なからず動揺する事態だったので、そこから先は写真を撮っていない。
どうやって帰ってきたかもはっきり覚えていないが、スタンプラリーで景品を貰うために必要なスタンプはしっかり集められたようだ。というのも、達成の引き換えでもらってきた記念品がいまだに手元に残っているからだ。
ちなみにその記念品とは、真鍮製のメーカー銘板(っていうのかな、車両の端っこについている楕円形のプレート)のレプリカであった。