岩手へ【5】(2006/03/18)

— 六本木 —

続いて一関の名勝として厳美溪と知名度的にも名称的にも地理的にも両翼をなす猊鼻(げいび)渓 へ向かうことになりました。

厳美渓が動とすれば、猊鼻渓は静。
渓谷を眺めながらのどかな舟下りが出来る場所なのですが。。。

舟下りの最終便に間に合わなかったようで残念ながら乗船できず。。。
結局そのまま帰ることになりました。

途中の道の駅かわさき で休憩を兼ねた買い物タイムに。

出発前に調べた情報では、みそパンと、かりんとうが有名とのこと。
原付が小さい頃はみそパンとか普通に食べてたっけかなぁ、というほど記憶に無いのですが、 有名と言うなら買って見たいということでおばさんに話すと、「そんなもん、 別にお土産にして持っていくもんでもないっぺっちゃ。」と呆れられてしまいました。。。

でも折角なので買ってみることに。
みそパンは言ってみれば蒸しパンのようなもので、生地に練り込まれたみその風味はさほど強くなく、 どちらかというと黒糖の蒸しパンでも食べているような風味でした。

いつも割と下らない駄洒落を言っていることが多いおじさんが、 区画整理されて道が広くなった旧川崎村中心部のメインストリートを指して「ここが川崎村の六本木だ。」 と分かるような分からないようなことを言っていましたが、周りの人が軽く受け流している感じだったので、 原付もそれにあわせて絶妙な半笑いで受け流したところ、唐突に車の鍵を渡され、

「じゃ、うちまで運転してってけれ。」

まさか、スルーが気に障っちゃいました??
ってことはないと思いますが、まぁ断る理由も無かったので、運転を引き受けてばあちゃんの家までみんなを乗せて無事戻ってきました。
久々に緊張する運転だった。。。w

— 不思議な懐かしさ —

家に戻ってきたら、女衆は晩御飯の準備。
カミさんが何か手伝いたいけど、他人に台所に入られることを嫌がったりはしないだろうか、と心配していたので、 ここの人はそういうの気にしないから大丈夫だよ、と教えてあげたら、おばあちゃんやおばさんの輪に混じって食事の手伝いを始めました。

20060318_09_122000

原付はその間に庭に出て写真を撮ったりしていました。
小さかった頃はとてつもなく広い庭だと思っていたのに、今改めて見回すとそれほど広くも感じなかったのが意外でした。

そこで、多分当時はこのくらいだったかな、としゃがんで目線を合わせてみると、少し昔を思い出すような広がりを感じることが出来ました。
庭のあちこちをウロウロしていたら食事が出来たと声がかかり、部屋へ戻って晩御飯の時間。

おばあちゃんはおばさんが飼っている犬が脇に来ると、テーブルの食べ物を少しつまんで犬に食べさせるのですが、それを見たおばさんが 「栄養が偏るから人間の食べ物を食べさせないで」ってたしなめると、 一旦は分かったような顔をするのですが、犬が欲しがっているのを無碍に出来ないのか、 今度はおせんべいをわざとカスが落ちるようにだらしなく食べて、それを犬が勝手に食べてしまったかのようなフリをして見せます。

じいちゃんは相変わらず静かにそこに佇んでいて日本酒をちびちびと口に含ませています。

親戚や近所の人たちが次から次へと縁側にやってきて、おばさんが「原付がお嫁さん連れてきたんだよ。」 と教えるとみんな一様に「あらま、おおきくなって~!」とか「それはそれは、 おめでとさんでした。」とか声をかけてくれたのですが、小さい頃は遊んで貰ったと言っている人を余り覚えていなかったり、 過ぎた時間の長さを感じずには居られませんでした。

それからその流れで、脇にある茶箪笥からアルバムを何冊か取り出して見せてくれました。
そこには原付が小さい頃の写真が何枚も納まっていました。

原付が小さい頃、というとかれこれ30年くらい前の話になるのですが、それらの写真から、 あの頃の満ち溢れる活気や勢いが伝わって来て何ともいえな懐かしさを覚えました。

夏場になると、食べ切れないくらい茹でてくれた、庭取りのとうもろこしとスイカを毎日のように食べていたこととか、 シッカロールで真っ白になった体に金太郎の前掛け一丁で家の中ではしゃぎ回って怒られたこととか、 近所に住むおばさんの家まで10分の道のりが山道になっていてちょっとした探検気分を味わえたこととか、 ばあちゃんが朝9時くらいになるといそいそと出かける準備を始めるので、どこに行くの?と聞くと「用足し」 とだけ言ってパチンコに出かけて行き、昼過ぎに紙袋にお土産をたっぷり抱えて戻ってきて、 その中からチョコレートを貰ったこととか、色々な思い出がよみがえってきました。

写真を見終わると、おばさんたちから、原付が岩手に来なくなってからも、原付は元気にしているだろうかとか、たまには遊びに来ないかなとか、 しょっちゅう原付のことが話題にでるほど、みんな忘れずにいたのだし、原付もこれで結婚して一人前になったんだから、 これからはたまに顔を出しにいらっしゃい、と言って貰えました。

夜も結構いい時間になり、風呂に入ってお休みすることになりました。
寝室として準備された部屋の天井には原付が小さい頃には無かった落書きが書かれていたりして、 多分弟や従兄弟のどっちかがやんちゃ盛りの時に書いたんだろうね、などとカミさんと話しながら目を閉じると、 暫くして庭の前に通る線路を大船渡線の列車が走り去っていきました。

小さい頃、大船渡線は24時間体制で貨物輸送をしていて、電気を消した真っ暗な部屋で、 一時間に一度くらい貨車を牽いたディーゼル機関車が通過する音がなんとも怖かったことを思い出しました。

更に線路の向こうに通る国道を走る車のライトがカーテンの隙間から部屋を照らして部屋が一瞬だけ明るくなると、 隅の暗いところから誰かに覗かれているような感じがして、ますます怖かったことまで思い出しました。

周りが初めて会う人ばかりで、何かと気疲れしただろうとカミさんに声をかけたら、 みんな人柄が穏やかな人たちだったから思ったよりは疲れていないとのことで、その点ではひと安心です。

Posted by gen_charly