一関遠征【2】(1990/07/30)
1990/07/30
列車は5時過ぎくらいに一ノ関に到着。初の寝台列車の旅はお世辞にも快適とは言えないものだったが、またとない体験ができたので、これでも割と満足だった。
ちなみに一ノ関、市の正しい名前には「ノ」は入っていないのだが、JRの駅名はなぜか「ノ」が入る。
程なく迎えに来てくれたお袋と合流。対面するまでまたやや緊張したが、車に乗って少し走り出したこ ...
一関遠征【1】(1990/07/29)
どこかに書いたと思うが、自分の両親は自分が小学3年生の時に離婚している。その際自分は父親に、弟はお袋に、それぞれ引き取られた。それは自分がお袋の実の子ではなかったからだった。そのお袋は実の子である弟をつれて岩手の実家に戻っていた。
離婚した当初はそうした事情を知らなかったので、たまにお袋と話がしたいな、と思うこともあったが、父から岩手とは連絡を取るなと言われていたので我慢していた ...
奥多摩の廃ロープウェイ(2003/06/22)
一昨年に奥多摩をドライブしている時に見つけたロープウェイの廃墟に再訪してきたときの記録である。
場所は奥多摩湖の最奥部。青梅街道から国道139号線に入ってすぐの所にある橋を渡ると、奥多摩周遊道路(旧:奥多摩有料道路)への分岐がある。これを曲がって奥多摩周遊道路に入ると、すぐ料金所の跡地とちょっとしたパーキングがあるのだが、件の物件は、その料金所脇の斜面の上に存在している。 ...
思い付きで飯能へ行った話 (1990年)
1990年頃
当時はちょっとした暇時間を見つけては、鉄道写真をひたすら撮りまくっていたのだが、それらをいつ出掛けたのか、とか、どういう目的で出かけたのか、などメモに取っておくという習慣がなかったので、何時撮影したものかもはや記憶にないものが多い。
コンパクトカメラなどで日付を写し込む機能が付いているものもあったが、自分が買い与えられた入門用カメラにそんな上等なものが付 ...
西武最後の赤電が引退 (1990/06/23)
1990/06/23
西武に多摩湖線という路線がある。この路線には351系という形式の車両が走っていた。
西武と言えば20年前くらいまでは黄色の電車だったが、黄色くなる前は赤と茶色の塗分けだった。故に「赤電」と呼ばれていた。
他の路線の旧型車が淘汰されていく中、多摩湖線の351系だけは赤電塗装のままずっと生き延びていた。
その理由もまた、他の旧型車両が ...
箱根にまた行ってきた。 (1990/03/31)
1990/03/31
数年前に自分を鉄道趣味の世界へと引きずり込んだ同級生のM君。意外にも撮り鉄の旅に一緒に出掛けたことは少なかった。
この時は小田急の10000形(HiSE)がデビューして数年経つが、未だに撮影できていないので撮影しに行きたい、という思惑が一致して出かけてきた。
また例によって、ろくでもないカメラを携えて出かけたので、その出来栄えはかなり ...
ほぼ日本一周ツアー【5】(2000/09/22)
2000/09/22
今回のあてどないぶらり旅もいよいよ佳境、本日が最終日である。
夜ここを出発するサンライズ出雲に乗って東京へ凱旋するので、それまでが自由時間。
朝起きて窓を開けたらなんか微妙な天気。これはちょっと降られるかもしれない。
まぁ、そうはいっても、チェックアウトの時間には部屋を追い出されてしまう。そうぐずぐずとはしていられない ...
ほぼ日本一周ツアー【4】(2000/09/20~09/21)
時間は16時ちょっと前。大三島からここまで1時間とかからず到着した。文明の利器は凄い。
今治で松山までの切符を買う。各駅停車でのんびりしていると到着が遅くなってしまうので、特急の乗車券も一緒に購入。
特急の写真は撮りそびれたが、7000系は撮影した。
その次に来た列車に乗って松山まで1時間の旅。あっという間に松山駅に着いた。
駅の観光 ...
ほぼ日本一周ツアー【3】(2000/09/20)
重井港のレンタサイクルの貸し出し場所は異様に趣のある建物だった。農家の納屋というか、あばら家のようなというか、そんな佇まいで建っていた。
傍らの詰所にいた係員の老人が自分が来たことに気づいて中から出てきた。
その係員に自転車を借りたい旨を伝えると、ここの中にある自転車だったらどれでもいいよ、という。そう言われて中を覗いてみると、停まっているのはメーカーも色もサイズもみなバ ...
ほぼ日本一周ツアー【2】(2000/09/19~09/20)
2000/09/19
今回の放浪旅はここからが本番。前述のとおり、今日は広島の辺りを目指すことにしている。
鉄道に乗って遠くを旅をするのは久しぶりである。関東では味わえないような雰囲気を味わうことが出来たら最高である。
鉄道で旅をするので、今回、撮り鉄趣味を解禁することにした。まぁ、昨日既に札幌で路面電車の写真を撮りに行ったりしているが。
...
ほぼ日本一周ツアー【1】(2000/09/15~09/18)
一昨年、昨年と、このところ毎年のように札幌のS君と会っている。毎年会っているのにお互い話が尽きないので、いつも最後は物足りなさを感じつつの解散となる。
そんなS君は作曲も手掛けていて、先日自主製作のミニアルバムを送ってくれた。アルバムの中に収められている曲は、TーSQUAREのようなポップなフュージョンの雰囲気を持ちつつ、ゲームミュージックの世界の流行も取り入れたようなドラマティ ...
川越線の低窓車 (1990/01/20)
1990/01/20
前日は関東地方では珍しくドカ雪が降った。だが翌日にはあらかた溶けてしまった。
この日は土曜日で、当時はまだ半日学校に行かなければならなかった。学校から帰ってきて雪が解けているのをいいことにI田と的場に出かけることにした。I田は国鉄車両のNゲージに特に興味を持っていて、的場にNゲージを売っている模型店(名前は忘れた)があったので、市場調査に行こう、とい ...
パノラマエクスプレスアルプスに乗ってきた話【2】 (1990/01/05)
駅に戻ると、彼はお土産の物色が終わって待ち合わせ場所に佇んでいた。合流前にとりあえず記念入場券だけ購入。
それから中央線で小淵沢まで行き、小海線に乗り換え。
ぐんぐんと標高をあげていくキハ52に感動しながらローカル線の旅を堪能する。
途中、八ヶ岳が綺麗に見える場所があった。この写真はこの記事でも掲載させてもらった。
小海線は単線のローカル線なの ...
パノラマエクスプレスアルプスに乗ってきた話【1】 (1990/01/05)
1990/01/05
JRには165系電車を改造した、パノラマエクスプレスアルプスという長い名前のジョイフルトレインがあった。
その車両は小田急ロマンスカーや名鉄パノラマカーと同じような構造になっていて、運転席を屋根上に移動して、最前面を展望室とした列車だった。
前面展望が一番のウリだったが、列車内には個室やラウンジも設けられて、ゆったりと寛ぎながら鉄道の旅を ...
185系普通列車で箱根へ (1989/05/04)
1989/05/04
中学生になり学校で新たな友達となったK君。彼もまた鉄道が好きだったので、意気投合してつるむようになった。
今回は箱根へ行ってきたのだが、そのきっかけは特急踊り子号用の185系で運転されるという普通列車に乗りたいと思ったことだった。
各駅停車ではあるが、普段、別料金を払わないと乗れない電車に特急料金を払わずに乗れる、というのは、何ともお得感 ...
京葉線 (1989/04/02)
1989/04/02
どうにも地味な印象がぬぐえない我らが東武東上線であるが、1987年に大きなイベントがあった。地下鉄有楽町線が和光市まで延伸されて、東武東上線と直通運転を開始したのだ。これにより都心部まで乗り換えなしで行けるようになったのだが、当初直通する列車は各駅停車だけだったので、座れるけど時間のかかってしょうがない列車なうえ、殆どが川越市どまりだったので、川越市以遠の利 ...
三鷹電車区に見学に行った話 (1988/12/26)
1988/12/26
当時、父の会社の例の同僚の姉が三鷹に住んでいて、極々たまに遊びに行っていた。
それから数年後に自分が鉄の道を歩み始め、その折に三鷹に電車区(車庫)があることを知った。
で、それから暫く経った冬のある日、みんなで集まってクリスマスパーティをしようよ、という話になって3家族がその三鷹の家に集まった。
不思議な縁とでもいうのか、その3家 ...
’88埼玉県民の日 (1988/11/14)
1988/11/14
11月14日は埼玉県民の日である。
この日は県内の小中学校は全て休校日であり、しかも県内を走る大手鉄道各社が子供200円未満の料金で県内乗り降り自由のフリー切符を発売していたので、電車が空いている平日に安価に遠出ができるまたとないチャンス。
ということでフリー切符を入手して撮り鉄の旅に出ることにした。
ただ、惜しいのは各社 ...
箱根の鉄路巡り (1988/08/14~08/15)
1988/08/14
お盆休みに父と例の同僚(とその娘)とで箱根の温泉宿に泊まりに行くことになり、2家族4人で父の車に乗って箱根へと向かった。
宿は強羅駅の近くにある紀伊国屋旅館、という所だった。芦之湯にきのくにやという旅館があるがそこではない。どうも既に廃業されているようだ。
行きは宿に直行、宿の詳細は既に記憶に残っていないが、宿から歩いて1分くらいのところ ...
川越の車庫を見に行った話 (1988/08頃)
1988/08/xx(多分)
JR埼京線・川越線の車両が留置されている川越電車区という車庫が南古谷駅の近くにある。ここもまた事前の電話連絡で見学対応してくれる車庫だったので、これまで2,3度見学させてもらっている。
この時何回目の訪問だったかは忘れたが、夏休みの自由研究で鉄道車両の仕組みみたいなものを発表しようと思いたち、その取材のために訪問したのだった。